「自分が欲しいもの」は、どうやって決まっているのか?
・私は物ごとを誰の影響も受けずに自力で欲している
・私が何を望み、何を望まないかは私が決めている
人間の三大欲求+衣食住の確保(心身の安全を守る)が満たされた後であれば、これはすべて間違いであると著者は言っています。
すべての人間の欲望は他者の媒介によって誘導されている‥つまり、すべて他人から影響を受けているというのが著者の結論。
人類最強の武器でもある「真似する」を深堀した書籍を読みました↓
真似によって人類は発展してきた‥という内容の別の書籍も読みましたが、「欲望の見つけ方」は真似することによる弊害も解説されています。
・お金をムダ使いをしてしまう人
・他人に影響されすぎて疲れてしまう人
・負けず嫌いな人(他人と張り合ってしまう人)
・前提「欲求」と「欲望」の違い
・なぜ嫌なライバルに似てくるのか?
・真似と嫉妬の関係
・手の届かない影響~身近な影響
・人間にはスケープゴート(生贄)思考がある
・「やってから文句を言え!」を信じてはいけない理由
・自分のフェチズムを知ることが大事
個人的に、勉強になった所や面白かった内容を紹介します。
書籍のネタバレあり。
前提「欲求」と「欲望」の違い
欲望‥不足を感じてこれを満たそうと強く望むこと。また、その心。
goo辞典より引用
欲求‥生活体に生理的・心理的な欠乏や不足が生じたとき、それを満たすための行動を起こそうとする緊張状態。要求。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%AC%B2%E6%9C%9B/
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%AC%B2%E6%B1%82/#jn-227934
欲望の例
・平均年収くらいだが、お金持ちになりたい
・運動得意だから、スポーツ選手になりたい
・この車まだ乗れるけど、新しい車がほしい
欲求の例
・お腹が空いたから何か食べたい
・睡眠不足だから寝たい
・お腹が痛いからトイレに行きたい
かんたんに言うと、
・欲望は(あれば嬉しいけど)なくても生きていけるもの
・欲求は満たさないと生きていけないもの、または安心して生活できないもの
・・という定義です。
本書は主に「欲望」に焦点をあてて書かれています。
自分が本当に欲しいモノの見極め方→面倒な作業が必須
欲しいものを知ることは、必要なものを知ることよりもずっと難しい。
欲望の見つけ方より
(中略)
人類が進化するにつれて生存に関心を持つ時間が減り、物を求める時間が増えた。
つまり、欲求の世界で過ごす時間が減り、欲望の世界で過ごす時間が増えたのである。
「人間の三大欲求や衣食住=必要なもの」は、わかりやすいですが‥
地位の高い仕事・高尚な趣味・ハイスペックな家族・容姿端麗な恋人など、近くの他人が持っているから(うらやましくて)欲しいと思い込んでいるのではないか?ということだね
経験上、自分が「本当に欲しいもの」を見極めるには一旦手に入れてからじゃないと分からないというのもありますね
ちなみに、まだ手に入れていないが心惹かれるモノ・人を「どうせ良くないモノ・人」と思い込んで諦めるのは、すっぱい葡萄(ぶどう)理論と言われています。
すっぱい葡萄について↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E8%91%A1%E8%90%84
※ただ後述していますが、著者は すっぱい葡萄理論を信じてはいけないとも言っています
欲しいと思ったものはドンドン手に入れて、容赦なく断捨離して、最後に残ったモノ・人たちが自分が本当に必要なモノ・人‥という判断ができます。ミニマリストの考えに近い、
手間や金、時間もかかる作業だし、(人によっては)他者からも嫌われる可能性があるので大変だと思います(^^;)
なぜ自分は嫌いなライバルに似てくるのか?
「人間は戦えば戦うほど お互いに似てくる」
「敵は賢く選ぶべきだ、その敵に似るのだから」
・・と書籍には書かれています。
人間はお互いが違うから戦うのではなく、同じだから戦うのだ。
欲望の見つけ方より
互いを区別しようとするから、敵同士の双子となり、互いに暴力を振るう分身同士となる。
①同期の同僚が先に課長に昇進して嫉妬する→部長を目指す(出世の模倣)
②親友が結婚したら自分も結婚したくなる→より良い結婚相手を見つける
③自分と同じくらいの画力だった絵師が急に上手くなって焦る→その絵師より上手くなりたい
・・など、身に覚えがあるんじゃないかと思います(^^;)
同じモノの「上位互換」を常に欲しがるイメージですね。
第三者目線だと「無下な争いじゃね?」とも思うけど、自分事だとやっちゃうやつだね‥
ライバルに似ないためには、どうしたらいいか?
似た話だったので漫画のワンシーンを紹介します。
私の好きな麻雀マンガ「咲-saki」で こんなシーンがあります(内容を少し省略しています)↓
戦う相手のレベルが上がったため、スランプに陥ってしまった子の話‥
スランプの子:バケモノ連中(上級者)の真似をしようとしてみても自分の打ち方が歪んだだけで なにもできず、ただ鬱になるだけやった
監督:「他人と比較するん やめたらええと思うわ」
スランプの子:「上級者との比較と分析が自らの上達につながるんやないですか?」
監督:「相対比較で手がとまるんなら、他人には意識をむけずに自分の力の絶対値を上げるんもいいんちゃうかな」
スランプの子:「自己鍛錬に集中しろってことですか、まぁやってみます」
後にスランプの子は自分の得意な打ち方に集中して、無事にスランプを脱出していました。
ここのシーンとセリフ好きなんですよね(^^)
前述の例なら、おそらく‥
①自分は平社員のままで副業に力を入れて、独立を目指す→出世を目指さない
②独身ライフ(趣味・ペットなど)を謳歌して人生を楽しむ→一番やりたいことをやる
③画力では敵わないから、ネタ絵に力を入れる→得意ジャンルで戦う
・・と考える方が幸せになれる可能性が高いんじゃないかと思います。
前述した すっぱい葡萄(ぶどう)にならずに、「それは要らん」「これは要る」と、本当に欲しいものを判断できる人は少ないんじゃないでしょうか?
そう考えると、「欲求」を見つけるのは簡単だけど、自分が1番欲しい「欲望」を見つけるのが難しいという意味が分かりますね(^^;)
もう1つの個人的な仮説として‥より資源が少ない人の方が正確な判断が可能なのでは?とも思っています。
※ただし、人間の三大欲求+衣食住が脅かされるような資源の少なさは逆に判断を鈍らせます
例えば・・1年に1度しか浪費できない(ぜいたく品を買えない)経済状況の場合、より慎重に欲しいものを判断すると思います。
2泊3日くらいの旅行=その人にとっての贅沢だったら、「どこが楽しめるか?」「どの旅行会社を選ぶか?」「どこを回るか?」など、何度もパンフレットを見比べたり、レビューを見たりして自分が楽しめる旅行を慎重に判断するはずです。
たくさん手に入れて容赦なく断捨離できる人には敵いませんが、程よい資源の少なさから選ぶことも他者からの影響を受けにくいのかな?と思いました。
自分より贅沢している他者を目にすると、嫉妬して満足感を得られなくなるとか、ややこしい事は起こるでしょうけど‥(^^;)
だからネット(SNS)断ちする人がいるわけですね。
前提知識がない場合は他人(特に専門知識がある人)の意見は必要
欲望にはモデルが欠かせない。
欲望の見つけ方より
その人が欲しているというだけの理由で、そのものに価値を与える人である。
モデルは目の前にある物体を理想のものに変える。
書籍でこんな例が紹介されていました↓
・あなたと友人で、たくさんの売り物のシャツを眺めている
・友人は大手映画会社の衣装デザイナーのアシスタント
・あなたは特に目を引くシャツはないと思っている
・しかし、友人が1枚のシャツを気に入る
・その瞬間、友人が気に入ったシャツはだたのシャツではなくなる
・衣装デザイナーが選んだ(良い)シャツとなる
他人の目で何かを選んだなんて思いたくはないが、私達はいつもそうしている。
人の目を通して選んでいる。欲望のモデルは必ずいる‥と著者は言っています。
書籍ファスト&スロー(上)でも書かれていましたが、判断しなければならないもの・ことの前提知識がない場合は他からの情報は重要ですよね
逆に専門知識があれば、判断を惑わされない確率が高いってことだね、全部の事柄の専門知識を持つことは不可能だろうけど‥
ファスト&スロー(上)↓
危険なのは「モデル」の存在を認識しないこと
その場合、私たちは簡単にモデルと不健全な関係に陥ってしまう。
欲望の見つけ方より
モデルは巨大な影響力を発揮し始める。
私たちは無意識のうちにモデルに執着しがちだ。
日本のモデル≒価値観でも似たような考え方がありますね。
・大学を出て立派な会社に就職して一人前
・結婚して家を建てて一人前
・子供を育てて一人前
・無職(ニート)は悪
・・などの価値観(モデル)が特に20代~40代くらいの人たちを苦しめる。
本来なら、いま幸せに問題なく生活できているならモデルは気にしなくてもいいはずだけどね‥
世間の目とかもありますしね、本人が(勝手に)気にしすぎている場合もありますが‥
原因は(SNSなどで)周りの状況が見えやすいから、自分にとって必要ないモデルをマネしなくてはならないと思い込み、苦しんでしまう。
影響されやすい人は無人島生活(あるいはネット断ち)で外部情報をシャットアウトしたような状況なら苦しまずに済みますね。自分は無理ですが‥(^^;)
あとは、この書籍に書いてあるように自分にとって不健全なモデルの影響を受ける可能性があることを理解して、今まで通りに生活するとか。
ここを理解しておけば、「今、ライバルの真似しようとしているな‥」と気づき、方向転換できる確率が高まる。
余談:ただし、真似する力は人類最強の武器でもある
余談ですが、書籍には赤ちゃんは本能的に他人(特に親)の真似をすると書かれています。
赤ちゃんと対面している人が笑ったら笑い、舌を出したら同じく舌を出すし、頬を膨らませれば同じく頬を膨らませる、対面している人が別の所をみれば赤ちゃんもつられて同じ方向を見る。
情報を吸収しようとする力が高い。
人間に「あらかじめ備わっている」真似する力によって人類は発展してきました。
・食品を冷凍保存して長持ちさせる
・食品に火を通して消化しやすくする、毒素を消す
・水筒を利用して、水がない場所でも水分補給できる
・・など、他者が発見した知識を真似した(広めた)おかげで我々の生活が便利になってきた経緯がある。
多様性の科学という書籍では上記の赤ちゃん実験と似た実験をチンパンジーやオラウータンでも行っていて、真似る力は人類特有のものだという結果が出ていました(実験対象は2歳児でしたが)。
ただし、動物の中でも「犬」だけは特殊で人(飼い主)の真似をしようとするそうです。
犬は飼い主に似る‥という話にも通ずる所があって面白かったです(^^)
真似するモデルは慎重に選べ‥という著者の結論のは真似は「負の面」と「良い面」があるから、なるべくメリットを上手く活用しよう!ということなのかな?と思いました。
大人になるにつれ、真似する力は不健全なものにもなりうる
他者が何を欲しがっているか気遣う子供の自然で健全な関心は大人になると、他者が欲しがるものに対する不健全な関心になる‥と著者は言っています。
「他者が欲しいものを知って助けてあげようというのではなく、それを手にしようと密かに競争する」
自身の絵やブログ活動も最初はそうだったなぁ‥
現在は多少の知識がついた+吹っ切れて、他者と競わなくて済んでいるので良かったですが‥「自分にとって必要じゃないもの」で張り合うのは本当にキツイ(^^;)
母親の視線を追った赤ちゃんは大人になると周りの人に注目し「欲するに値するか?」かすかな手がかりを追う‥と書かれています。
買い手目線でAmazon等で競合商品を比較するときに、
・レビューや購入者が少ない→不安
・レビューや購入者が多い(評価も高かったら尚よし)→ちょっと安心
・・となるのに似ていますね。
誰かが欲しがったもの=安心という面もありますが、専門知識がない自分だけの判断では不安なんですよね。
ステマの可能性もあるし。
人間の面白い心理~「他人の目」を通さないと不安である人
私達は密かにモデルの一挙手一投足に目を光らせながら、同時にモデルの必要性を否定する。
欲望の見つけ方より
模倣の欲望は暗闇の中で作動する、暗闇の中で見通しが利く人はことを有利に運べる。
・モデル≒ライバルを常にチェックしたい衝動に駆られる(SNSなども)
・モデルが欲しがるものを手に入れようとする(競うため)
・またはモデルが欲しがるものをあえて手に入れない(鏡に映った双子のよう)
すべてはモデルを中心とした行動である。
この原理を分かっている人たちが物事を有利に運べるそうです。
自分の中である程度決めて判断し、補助的に他者の考えを参考にする分にはいいのですが、他者の評価だけに振り回されて苦しむ架空の話が紹介されていました。
・お互いが気になっている男女2人
・お互い真剣な付き合いに進みたいとは思っている
・男が最初にするのは男友達全員に彼女を紹介すること
・必要なのは友達の承認である
・彼女に気のある素振りを見せるものが1人でもいないか注意して見る
・誰も彼女に興味を示さなければ、自分の選択を疑い始める
・彼はモデルから自分の選択の妥当性を引き出したいのである
この書籍を読むと、恋人(恋人候補)を友人に紹介するという行為は「自慢」という意図だけではないんですね。
上記の架空の話だと‥
・男視点→他者の承認=自分の選択があっているのか?の確認
・友人視点→ライバル(男)の動向をチェック
・・となる。
マンガやアニメでもよくある王道シチュだけど、イケメンや可愛い異性に自分が好かれたら気分がいい・・に似ているかな?
自分の存在価値が爆上がりしたような錯覚がありますからね
少しツッコミを入れさせてもらうと‥いわゆる高嶺の花的な存在に(いい意味で)特別扱いされると、周りから嫉妬の対象になり、それはそれで生きづらくなるとも思うんですが、やはり承認欲求の方が大事なんでしょうかね?
やはり、これも経験で、特別扱いされて嫌な思いする「経験」がないと理解するのが難しい感じなのかな?(^^;)
営業戦術としての真似して相手の好感度をアップさせる効果
あと、人間は真似ることに敏感なので、許容できる真似から少しでも逸脱すると気づくそうです。
・もらったメールやメッセージの語調がおかしければ、ちょっとした危機に陥る
・これは会話でも同じ(レスポンスがそっけなかったり)
・相手は私のことが嫌いなのか?自分の方が偉いと思っているのか?何か悪いことしたのだろうか?
・相手を不安にさせる
コミュニケーションは「模倣」を土台に進んでいく。
世界一のセールスマンであるジョー・ジラード氏も、真似を活用して顧客に好かれる→販売成績を伸ばしていたので、説得力がありますね。
「欲望の見つけ方」に書かれている学生同士の交渉実験でも、相手の姿勢や話し方を真似た人は67%交渉に成功し、真似しなかったものは12.5%しか成功しなかったと言われています。
ただし、相手の言葉をそっくりそのまま返すと相手の反感を買うこともあるので注意が必要(例:今日はどこで外食する?→君が決めて‥なども場合によっては反感を買う)
あと、1人のモデルと常に まったく同じもの(服やアクセサリーなど)を身に付けたりすることも入ります。
パソコンや家具などはお揃いでも比較的大丈夫ですが、身に付けるものなどはストーカーみたいで怖いと思われる可能性が高い。
真似するのが当たり前の世界で、おかしな行動は人を魅了する
自分の意向に応じて、つまり自分が望む通りに他人を自分の軌道に引き込むことができるように見えた。
欲望の見つけ方より
(中略)
他人が欲しがっているものは気にしないように見える人、あるいは同じものを欲しがらない人は別世界の人間のように感じるものだ。
模倣に影響されず、反模倣的にさえ見える。だから魅力的なのである。
ほとんどの人はそうではないから。
学生時代に不良がやたらカッコよく見えたようなものかな?
ただ、先ほどから触れている‥すっぱい葡萄(本当は欲しいのに要らないフリをしている)の可能性もあるので注意が必要ですね
あと、おかしな行動をして他人に迷惑をかけるだけでは人々の反感を買うだけです。
・何らかの成果を残している(例:変人だけど世の中に便利なシステムを作ったなど)
・人柄が良い(例:顔や身なりは怖いけど親切など)
・・の魅力的に見えるのは上記のようなことが必須になってきます。
上記の人たちは一般人から見たら、かなり魅力的に見えるんじゃないでしょうか?
人間は社会性を重視する生き物なので、おかしな行動だけでは悪意の餌食になります(ただし、善意も悪意の餌食になる可能性もある)↓
何らかの成果を出していたり、奇抜な商売をする人には多くの人が注目しますよね(^^)
有名どころだと‥
・プロ奢ラレヤー
・レンタルなんもしない人
・イーロン・マスク
・ゆたぽん
・・などがそうですね。
ただ、変人+成果を残すか、あまり目立たずに平穏に過ごすか、どちらが良いのかは人それぞれ。
両方やってみて、自分に合った方を選択できればいいんですけど、前者は難易度も高いですしね(^^;)
自身は小学生~中学生くらいのころに人柄を磨いて変人(派閥に属さない)をやったことがあります。
確かに他者に もてはやされましたが、自分には合わないな‥と思ってやめた経緯があります。
難易度は高いですが、両方経験してモヤモヤを解消するのが1番ですね。
【セレブの国と1年生の国】同じものを求めても脅威を感じないこともある
書籍には「同じものを求める」と、お互いに脅威を抱くと何度も書かれています。
しかし、脅威を抱かないパターンもあるようです。
ライバルが‥
・故人
・架空の人物
・手の届かない人(超富裕層や芸能人など)
・匿名(素性を隠している)
この手の届かない人たちは「セレブの国の住人」といわれていて、直接競争することがない人たちのこと。
逆に「1年生の国の住人」は自分に近しい場所にいる人たちのこと(隣人、同僚、上司、部下、友達など)。
争いは1年生の国の住人同士で起きやすい。
つまり、競争意識は近さに比例するということ。
時間・空間・金銭・地位において十分に距離がある場合には同じ機会を巡って真剣に競争することはない。
欲望の見つけ方より
私たちはセレブの国のモデルを脅威とはみなさない。
私たちが、彼らの欲望を自分のものにしようと向こうは おそらく気にしないだろうから。
対立する恐れがないので、私たちは大抵自由に公然と彼らを真似るということだ。
自身はセレブの国の住人ではないので手の届かない人側からは言及できませんが、SNSやブログ、動画などで1年生の国の住人には影響を与えている&与えられているなぁ‥という実感はありますね。
・自分の同期が○○という書籍を買って読んだよ→自分も買って読んでみる
・自分の同期が△△商品が絵を描くときに便利だったと言う→自分も買ってみる
・自分は今、××という絵の練習をしているよ→気づいたら周りの人もやっている
・・というような事が起きていました。
※ただし自分の場合、セレブの国の住人(≒そのジャンルの成功者)がオススメしている本は結構買って読みます
インフルエンサーみたいな人だけが、一般人に影響を与えているわけではない。
創業者と従業員、教師と生徒、プロスポーツ選手とアマチュア選手にも当てはまる。
欲望の見つけ方より
(プロとアマチュアは通過儀礼によって線引きされる。それは誰が誰と戦うかを区別するためである)
セレブの国では自分を真似る人達と争うことはない。そんな人が存在することすら知らないかもしれない。
だから、割合に平和な場所となっている。
一方、1年生の国では、いつどの2人をとっても熾烈な競争が起こりうる。
後でまた出てくるけど、周囲の影響を受け続けるのはシンドイこともあるよね‥ライバルの動向が気になって気になって仕方なくなったりね
ライバルと争い続ける&SNSなどでライバルが見えやすい→シンドイ→SNSやネット断ちする‥が流行るわけですよね(^^;)
こちらも後の方で紹介しますが、ライバルとの争いは「ある地点までは」有益だが、その後は無益な争いになることも多いそうです。
そして、自分が近所の人、同僚あるいは友人の「誰かみたいになりたい」と思っているという事実は恥ずかしくて認められない‥というダブルでツライ事実も書かれていました。
1つの解決策として‥現在プロ絵師として活躍している方も同じ状況に陥ったそうで、誰かに「○○さん(ライバル)に嫉妬している」と宣言することで解決したそうです。
猫好きから学ぶ理想の対処
猫を呼び寄せようと頑張れば、猫は座り込んで前足を舐める。
欲望の見つけ方より
その効果は、人の注目や称賛には興味がないふりをする人間と同じだ。
自分に満足している様子は人を引き付ける。
人間が絶えず移り変わる欲望を満たそうとあくせくする一方で、猫は自分の毛並みを整える。
何も必要とせず、何も欲しない。
自身は犬好きですが、猫好きの人は「猫は自分勝手で気まぐれな所がイイ!」とよく言います。
こういう心理だったんですね(^^)
もしかすると、猫好きな人は影響されやすくて疲れやすい人なのかもしれません。
自分と正反対の人・ものに惹かれやすい(癒されやすい)心理も見えてくるね
私の場合、商売や情報発信などはともかく、プライベートでは結構不愛想なので(過去の過ちから)、正反対の愛想が良くて忠実な犬を求めているのかもしれませんね。
※ただし、自身の2次元の推しキャラはツンデレなので矛盾は残りますが‥
さらに猫に関して、このようなことも書かれています。
猫を撫でようと書いたが、撫でようとしてはいけない。
欲望の見つけ方より
逆に猫に出会ったときは、あなたに撫でてもらいたいと猫に思わせよう。
そうすれば、あなたは偉業を成し遂げたことになる。
今の自分に満足しつつ、誰かから必要とされることは生きていく上で大事ですよね(^^)
真似はビビりにも働く
人々が自由に発言したい気持ちは無意識のうちに、その意見がどのくらい受け入れられるかを認識して決まるというのだ。
欲望の見つけ方より
その意見が他の人に受け入れられないだろうと思えば人は口をつぐむ。
沈黙すれば同じように考えている人はいないという思いが強まる。
そうして、その人の孤独感は強まり、多数派の意見を持つ人たちの自信は人為的に高まっていく。
真似=空気を読む‥と考えるとわかる気がする
ネットの世界はリアルより色んな考えを持った人たちが空気を読まずに自由に発信しているので、多様な集合知を得るにはいい場所ではありますね
先ほどから書いているライバルが見えやすくなる→シンドイ、違った考えを持った人に似てきてしまってライバル化することもありますが、色んな「栄養」を摂取できるネットの世界は個人的に好きですね(^^)
模倣することの利点と欠点を上手く使いこなせば、自分を成長させてくれますし。
ライバル同士の不毛な争い~何のために戦っている?
書籍の中で音楽(ラップ曲)で罵りあうラッパーの話が紹介されていました。
<概要>
・アメリカ西海岸(W)と東海岸(E)のラッパー対立
・EのラッパーがWのラッパーを直接攻撃するようなラップスタイルをとる
・以前からEはWのレコード会社がEを無視し、バカにしているように見えていた
・Wは報復として、自分たちの曲の歌詞にEの有望ラッパーの1人の名前を出した
・その後、Eも同じやり方でWのラッパー1人に応戦
・しばらく無限ループ
・お互いの出すヒット曲は、すべて相手の曲に対する返答になっていた
・この模倣の争いはW、Eの代表が死ぬまでつづいた
人のことは言えないけど、子供のケンカか
子供のケンカなら力が弱いのでまだいいですが、国の偉い方々のケンカになると武力戦争にも発展するので怖いですよね(^^;)
中には誤解もあるだろうけど、相手をバカにするようなことをしてはいけない。
話はそれますが‥やはり歌詞は1人に向けて書いた方が刺さるんだなぁとも思いました
歌詞の内容はともかく、ケンカ曲?がヒットするのはすごい
向こうの力が強いとき、人はそもそも自分が何のために戦っていたのか忘れてしまう。
欲望の見つけ方より
求めるものは取り替え可能となる。
ライバル同士の2人は相手が欲しがるものでさえあれば何のためでも戦える。
2人は二重拘束の状態に陥ることになる。
両者は相手の欲望に再帰的に拘束され、抜け出すことができない。
このあたりは書籍内では「模倣」と表現されていますが、自分が不利益を被ってでも相手に嫌がらせをする=悪意とも取ることができますね。
こちらの書籍も面白い↓
「欲望の見つけ方」でも「悪意の科学」でも、高級車であるランボルギーニとフェラーリの過去に起きた対決エピソードが取り上げられています。
欲望の見つけ方の著者のこの一言に集約できますね。
結局、競争の対象は車ではない「名誉」の問題なのだ
自分は正しい、相手は間違っていると思っているから起きる「正義の戦争」ってやつだね
勝つこと=満足感を求めて戦い続けるのは、人によってはツライかもしれませんね。
ちなみに、ランボルギーニとフェラーリの対決はランボルギーニが模倣の欲望を理解していたので、途中で対決を降りて回避できたそうです。
さらに、相手と真逆のことをする模倣についても書かれています。
なぜヒップスター(人とは違ったものを好み、個性的なファッションをする若者のこと)の人たちはみな同じに考え、彼らはそうは思わないのだろうか。
欲望の見つけ方より
(中略)
鏡に映った真似はライバルがすること全ての逆を行う真似を意味する。
ライバルがやっていることとは違う何かをすることでライバルに反応しているのだ。
互いに執着した時には、両者は相手と「差別化」するために何でもする。
「目的」と「手段」が入れ替わってしまったパターンだろうか?
いま流行りの「何者かになりたい若者」にも通ずる所があるような気がします
やはり根っこの絶対的な目的が大事ですね。目的>手段。
目的達成のためなら人と似てる手段だろうが、違ってる手段だろうが関係ねーよ(^^)となるわけですから。
ここは忘れないようにしたい。
※あとの方で絶対的な目的は「濃い欲望」と言われています
余談ですが‥
「推しとは何か?」という内容の書籍でも、推しのファンのマナーが悪ければ、無関係の人がその推し自体を嫌いになる→不買運動などに発展‥というようなことが書かれていました。
やはり、(自己啓発的な目的以外では)ムダな戦いは避けて、お行儀よく友好的に接する方が自分に利益がありそうですね(^^;)
・・と考えると、ライバルを貶めるためにライバルのファンを装いワザとマナー悪い態度を取るのも戦略の一部ということになりますね。良心さえ傷まなければ‥。
不毛な争いをやめる方法とライバルを常にチェックしたい心理
対立する2人のうちどちらかが競争をやめた時、相手の欲望は力を失う。
欲望の見つけ方より
模倣の競争においては、目標物はライバルが求めるから価値があるのだ。
ライバルが求めなくなれば、私たちも求めない。
当たり前といえば当たり前だけど、争いを止めるために別の方向に切り替えたらライバルがまた真似してくるんじゃ‥?
書籍にも‥
・彼ら(ライバル)が何をしているか どうしても知りたいと思う
・考えていることが気になる
・何を欲しがっているのか知りたい
・・と書かれています。
SNSで手軽にライバルをチェックすることができるようになったので、頻繁にチェックする人も増えていそうですね。
頭の良いひと達はライバル心を理解した上で発信(アフェリエイトなど)していると思うので、やはり競い合うのは ある程度までにした方が賢明かなと思いました。
ライバルがいるから自分が成長できるという事例もあるので、必要なぶんだけ成長できたら自制する力も必要だなと。
クリエイター職をやっている方ならわかると思いますが、完全オリジナルから作品を作れる人はいない。
みんな何らかの作品・人から影響を受けて作っている。
他者からの影響を受け入れつつ、その上で「どうするか?」を決めれるようになりたいものです。
話は変わりますが、いま自身も絵で方向性の切り替え中なので、真似してくる人がいるのか気になりますね
‥といっても自身は影響力が低い発信者なので、そこまで真似されるのかは分からないですが(^^;)
若い子たちほど気を付けよう~真似している自分を知る・撤退する勇気・絶対的な目的を持つ重要性
先ほどから何度も触れていますが‥
・真似している自分に気づくこと
・撤退するタイミングを計ること
・絶対的な目標や目的を持つこと
これだけで自分にとって「おいしい部分」だけ頂きつつ、意味のない競争を避けれる。
とくに上記2つに気を付けなければならないのは、真似て成長する段階にある10代~20代の若い子たち。
例えば、歴史学を専攻する人には現金で1万ドルを渡すが、それ以外の学生には何も渡さない大学を想像してみてほしい。専攻市場には偏りが生じるだろう。
欲望の見つけ方より
自分は本当は歴史学を専攻したいんだと、突然気づいた学生が出てきても誰も驚かないはずだ。
(中略)
欲望がいかに薄っぺらいものであるかわかるだろう。
しかし、私達は常にこういうことをしている。
(中略)
中には20年後のある朝、目が覚めて、自分はなぜこの仕事を選んで、なぜ今も同じ仕事をしているのだろうと思う人もいるだろう。
経済的なインセンティブは行動に影響する、それは間違いない。
日本でも一昔前(不景気のとき)は公務員が安泰だからって、公務員を目指す人が増えたしね
さらに、公務員の仕事に向かないような人でも目指すようになるという。
それで30代くらいになって、「このままでいいのか?」となって転職や起業する流れも お決まりですよね
こちらも前述していますが‥
真似に気づく・撤退する勇気に加えて、絶対的な「目的」や「目標」を持つ・守ることも大事ですね。
全部が大事で全部が必要だと考えると、かなりの労力と時間、お金がかかる。
あと余談ですが‥
著者は学生たちに教える立場であったときに自分が学生たちにとって欲望の「モデル」であることを知っていたので、選考やインターンシップや仕事に関する価値観のシグナルを発することに慎重になっていたそうです。
断言しない・メリットやデメリットだけ伝えて、判断は学生に ゆだねるような先生はホントに誠実ですよね(^^)
インフルエンサー界隈をみると、断言するような人の方が人気のようですが‥。
前に曖昧であること・ハッキリしないこと(敵か味方か等)に耐えられない人が多いという話がありましたが、だからなんでしょうかね?(少し前にXで話題になっていた話なんですがソースを忘れてしまいました、もうしわけない)
スケープゴート(生贄・いけにえ)の仕組みが面白い
昔の村社会とか部族で、飢饉(ききん)などの災い対策や雨乞い(あまごい)のためによく登場する生贄(いけにえ)ですが‥。
現在だと、戦争や未知の感染症など世界情勢や人々が不安定なときにスケープゴート(生贄・いけにえ)の活用は有効だと言われています。
模倣によって、ある一人あるいはある集団をターゲットに集まり、それを追放あるいは除去するのである。
欲望の見つけ方より
これには人々を結束させながら、暴力のはけ口を提供する効果がある。
(中略)
自分たちが欲しいもの、争いをもたらす模倣の欲望から自分たちを守るのである。
その矛先を向けられたものは、全ての敵の代理となる反撃できない者。スケープゴートである。
なかなか恐ろしいことが書いてあるね、なんらかの理由で自分がスケープゴートになることを想像すると‥
治安が良くない会社や学校でのイジメも同じ原理なのかもしれませんね
不景気時に政治家を集団攻撃する一般国民とも重なってみえる‥(^^;)
スケープゴートを活用することによる効果↓
・全員vs全員の戦いを全員vs一人に変える
・だから一時的な平和をもたらす
・全ての怒りがスケープゴートに向けられることで、模倣の衝突がしばし忘れ去られるから
・「集団」には心理的な安心感がある
・暴力には責任が伴う、責任が「集団」に分散されるから
たとえ、スケープゴートが後に「無罪・冤罪」だと分かっても誰一人、罪の意識を感じることなく解放される。
北海道でも中学生による集団イジメ事件がありましたが、加害者の子たちに罪の意識がなかった事とも重なりますね。
あと、最初の非難(攻撃)が1番難しいと著者は言っています。
それはモデルがないから。
誰かが酷いことをしたとして、その人を非難できるのは普通は圧倒的な「証拠」を前にした時だけ。
ただ、極度の恐怖や混乱の中では その基準は変わる。
よく管理された教室内よりも、戦場のほうが人は凶悪な加害者に見えやすい・・とあります。
これを読むと、イジメが起きるような場所は治安(家庭環境ふくむ)が元々悪い可能性が高いね
その根っこを取り除かないと、永遠とスケープゴートメカニズムは消えない可能性が高い・・という意味でもありますね
罪がなくても犠牲になるスケープゴート~望むのは大勢の幸せと団結力
スケープゴートの罪の有無は問わない。
欲望の見つけ方より
問われるのは共同体が望む結果。
統一・治療・浄化・贖罪(しょくざい)を達成するためにスケープゴートを利用する能力だ。
大勢が助かるために一人を犠牲にする話は、マンガやアニメのテーマでもよく出てくるよね
麻薬(一時的なやすらぎ)みたいなものですよね
根っこの問題を解決しないと、いつまでも良い方向には進まないと思うのですが‥
さらにスケープゴートに選ばれやすい人の特徴も紹介されています。
・強烈な個性を持つ人や神経多様性(自閉症など)の人
・身体的な異常を持ち、目立つ人
・地位や市場という観点から、社会の端にいる人(自給自足生活している人など)
・何らかの理由で逸脱した人間とみなされている人(ニートなど)
・行動が社会規範から外れている人(セクシャリティ、コミュ障など)
・外からやってきた人間(村社会など)
・王様や支配者(ひとり対全員であるため)
ひとり(少数)vs大勢であるため反撃ができない。
前述していますが、反模倣的ということで「平常時は」迷惑をかけない変人が評価されていましたが、極限状態だと手のひらを返される感じなんですね。
強力な支配者や王様にも当てはまるのが驚きでした
気候変動問題の活動家グレタ・トゥンベリさんもスケープゴート候補だったと書かれていたね
こういった方々がスケープゴート候補になる理由は、どこからどうやって来たのか、世間の人に知られることなく突然現れたように見えるためだそうです。
社会不安の原因として非難しやすくなる。
集団いじめ・政治家への集団バッシングはこうやって起きるわけですね(^^;)
表向きは平等・公平・公正を上げている人でさえ、「無自覚に」一人の人間をスケープゴート化している可能性があるという事。
説明できない不利益があったとき、誰か・何かを責める我々
私たちは説明できないものを説明するために「物語」を必要としていると著者は言います。
困難の最中にいて、事の起こりも自分の役割もわからない時、人は何でもいいから何かを責める。
私たちの精神に、どれだけ犠牲的思考(他責思考)が浸透しているか?
・あの政党、あの会社さえなければ
・あの上司、部下さえいなければ
・あの問題児さえいなければ
・私を5キロ太らせたファーストフードさえなければ
・・きっと、すべては上手く行く。犠牲は常に正しくて必要なものに見える。
私たちが振るう暴力は良い暴力で、相手が振るう暴力は常に悪い暴力である。
身近に こういうタイプの人がいたから説得力があります(^^;)
しかも、こういう方々は無自覚で暴力(精神的なものも含む)をやっているので、指摘しても否定してくるというね。
なので、この記事や書籍を読んでくれた人々に届いたらいいなと思います
・生贄の儀式は「代理」の犠牲によって成り立つ
・昔の動物の生贄は次第に責任者の解雇、大量投獄、ソーシャルメディアのキャンセルカルチャーへと変わっていった
・生贄を求める気持ちを満たすことにかけては人間の想像力に限界はないようだ
・ほぼ全ての人が潜在的に犠牲は平和をもたらすと信じている
・そういう意味で人々は宗教的である
・・と書かれています。
誰でも「自分を」責めるのはツライですからね‥(^^;)
こちらの書籍でも、何かやらかして(失敗して)しまった時に最初にくる感情は他責思考だと書かれていました↓
最初に来るのは他責思考でもいいですが、あとから自責思考に向かうことを願います。
※自責思考は天災や(普通に暮らしていての)病気・ケガなど、自分でコントロールできないこと以外で
株価が500%上がったネットフィリックスと、90%下落したレンタルビデオ会社の話
組織の健康は、組織内に「真実」が伝わるスピードによるという話。
組織内のどこか(役員や現場、投資家など)で真実がねじ曲げらると、不健全なものになると語られています。
<話の概要>
・米国で2008年に消滅した「ブロックバスター」というレンタルビデオ会社の話
・消滅する前、ブロックバスターの元CEO(元最高経営責任者)は、徐々に認知度が高まるネットフィリックスに否定的だった
・その2年後に、ネットフィリックスの株価は500%上昇し、ブロックバスターの株価は90%下落
・ブロックバスターの役員室では、役員と投資家の間で責任のなすり付け合いが起きていた
・どちらも業界が変わったという真実に向き合わなかった
・危機的状況にあるとき、内部の脅威(真実)は過小評価され、責任を取りたくない人はスケープゴートを探す
・その間に外部からの脅威はどんどん大きくなる
これ、個人でやる正しい努力の方向性という点でも当てはまるから笑えない‥
最速で失敗して、修正を繰り返す人たちが成功すると耳がタコになるレベルで聞きましたしね
真実に勇気をもって向き合い、効果的に伝え、素早く行動しなければ会社は現実についていけず、適切に反応できなくなる。
欲望の見つけ方より
適応能力が問われる、人間がかかわるプロジェクトが健康でいられるかどうかは、真実が伝わるスピード次第だ。
それは教室にも家庭にも国にもあてはまる。
サンクコストバイアス・確証バイアス・認知的不協和など色んな要素が邪魔してくるから「真実」を保持していられるのは奇跡に近いんじゃないだろうか‥(^^;)
チームでやる作業だと、自分は真実を注視し実行しようとしても、他のメンバーが反対する可能性もあるし難しい。
※サンクコストバイアス~今までかけた費用がもったいなくて切り捨てれない状態、またはもうちょっと待てばよくなるかもしれないという甘い考え、その間にも損失がドンドン膨らむ
※確証バイアス~自分にとって都合の良い情報ばかり集めて、都合の悪い情報は見てみぬふりをする
※認知的不協和~失敗したことを受け入れられない状態、なので修正もできない
失敗の科学という書籍により詳しく書いてあります↓
面接から「損切りできる人かどうか?」を見抜く
著者は起業家なので、たくさんの応募者を面接する機会があったそうです。
その中で真実を伝える速度を遅らせない人を見抜く方法が書かれています。
「あなたがこれまでに、真実のために払った犠牲の中で最も難しかったのは どのようなものですか?」
もし答えられなかったり、口ごもったりしたら その人を雇わないそうです。
その人は真実の関係について十分に考えたことがないのだ。
そういう人は社内で飛び交う真実のスピードを遅らせるだろうと。
正解例としては、自分には向いてないと途中で気づき、いままで懸命に取り組んでいた習い事や学校、会社を辞めた経験とかだろうか?
面接に限っていうと、挫折に立ち向かう経験話の方が好感度が高そうですが、著者は違うんですね
損切り(これ以上、損失が膨らまないように切り捨てること)が人生で大事なのは知っていますが、面接でも重視されることがあるんですね。
メディアに踊らされているの意味がわかる~作られた緊張状態
政治的な記事やコメントを見ていると「メディアに踊らされているんだよ」‥というのをよく見かけます。
よくマ〇ゴミなんて言われていますよね。
私を含め大体の人は「???」だと思ったので、以下を引用します。
混乱をつくり、模倣の緊張感を最大限になるまで高め、それから何か象徴的なものを追放するか、犠牲にする。
欲望の見つけ方より
これは今のリアリティー番組の提携の形である。
それで全員がカタルシスを得る。
※カタルシスとは‥心の底に溜まっていたネガティブな感情が解放され、イヤな気分が浄化されること
政治のニュースを見ていると、ちょっとしたことで政治家(の政策)または有名な経営者・会社などを悪者にして「こんな悪者を許していいのか!?」という煽り報道をするメディアが多い。
メディアとしては広告収入などで利益があったり、政治家同士ならライバルを蹴落としたりするためだろうけど、われわれ一般国民の「意図を見抜く目」が問われるね
個人的に、ここでも重要なのは曖昧耐性かなと思っています。
1人の人間が全部のニュースをまんべんなく完璧に調べるには、時間が足りない。
興味がなかったり、判断が難しい場合は いったん頭の片隅においておいて何も言及しない(曖昧にしておく)クセをつける。
これだけでメディアに踊らされる確率がグンと下がると思います。
スピリチュアルを信じるから科学の発展が遅れる?
犠牲の儀式は科学的な発展を妨げてきた。
欲望の見つけ方より
「科学の発展があったから、魔女の火あぶりをやめたのではない。魔女の火あぶりをやめたから科学が発展したのだ」。
(中略)
「昔は日照りは魔女のせいだった、私たちは魔女のせいにするのをやめた途端、日照りの科学的な説明を求めるようになった」
身近にスピリチュアルを本気で信じている人がいるんだけど・・(涙
参考程度にするならいいけど、ちょっと お近づきになりたくないですね‥
個人的な体験談でも神様は裏切ると思った途端、依存心がなくなったので「的を得ているなぁ‥」と思いました。
感情論も大事だけど、データや証拠(エビデンス)に比重を置くようになりました。
他にはイエス・キリストの磔(はりつけ)の話が紹介されていました。
・スケープゴートの語りを本来委ねるべきはスケープゴートにされたものだけ
・物語はスケープゴートの罪を心から信じる迫害者の視点で語られている
・イエスの磔の話は読み手が群集と一体化するように作られている
・同時に群衆の愚かさを理解させ
・最終的には人類の暴力についての真実を把握するようにも作られている
群衆=我々とすると、自分たちが暴力をしている自覚がないのも怖い所ですよね(^^;)
暴力はいけないこと(正当防衛などのやむを得ない場合を除く)→暴力している自覚がない→何度も繰り返すということだから。
正直、「これだからスピリチュアルは‥」という考えが浮かんでしまいましたが、これも一種のスケープゴート(排除したい気持ち)ですよね(^^;)
スピリチュアルは否定はしないけど、科学を重視する‥くらいの温度感がいいのかもしれません。
ミシュランの星を返上したシェフ~模倣の欲望から解放された例
シェフ業界では、ミシュランの3つ星を取ることが「成功」という扱いだそうです。
ミシュランの星をめぐる争いに疲れた3つ星シェフが、星を返上した話が紹介されていました。
ちょっと長いですが内容
・セバスチャン・ブラスというシェフのレストラン「ル・スーケ」
・都市部から「ル・スーケ」までは車で2時間半かかる
・それでもランチもディナーもテーブルが空いていることがない盛況ぶり
・(↑ここまでがミシュランの3つ星を捨ててからの話)
・ミシュランの3つ星に選ばれる=最高のレストランという格付け
・レストランには いつミシュランの調査員が来るかわからないという状況
・ミシュランの調査員にはシェフの人生を変える力がある
・シェフのキャリアや財政面でも影響を与える(来店者が減り、売上にも影響が出る可能性があるため)
・星を1つ失うことは死を意味するかもしれない(実際に星を失って自殺してしまったシェフがいたそうです)
・ミシュランによる評価は1度きりではなく、定期的に行われる
・シェフたちの選択肢は2つ
・①ミシュラン調査員の顔色をうかがいながら、窮屈に料理を作りつづけて星を維持するか
・②ミシュランの星を返上して、やりたいようにやるか
・しばらくして、前述しているセバスチャンと、その妻はミシュランのシステムの窮屈さに気づく
・極上のものを奨励する仕組みではなく、プレッシャーをかけて従順を求める仕組みだと理解したため
・星を維持することが最優先になり、リスクを避けるようになる
・ミシュランの調査員の期待に応えることだけ考えるようになる
・他にもミシュランの3つ星を取るためには、一流のソムリエ、熟練した給士人やスタッフが必要→コストがかかる
・さらにレストランが大きな都市になければ、宿泊施設を併設しなければならない
・ミシュランの星を取るために、シェフ自らがホテルやアパートを運営している例もあるという
・「ミシュランの星をなぜ返上したのか?」の問いにセバスチャンは答える
・ミシュランは、裁判長と陪審員の両方ができるようにお膳立てしているように思えたから
・ミシュランから商業サービスやツールの購入を打診する話があったそうです
・建前上はそれらのサービス、ツールの購入は自由だが‥
・ミシュランはレストランを評価する力、評価を落とす力、商品を売る力を備えている
・このことがセバスチャンは受け入れられなかった
・終わりのないゲームに疲れ果てていた
・自分のためでも顧客のためでもなく、ガイドブックの期待に応えるように働くようになるのだから
・セバスチャンは自分に問う
・「私は自分の店の評価を別の組織にゆだねるために、この仕事を選んだのだろうか?」
・「この先15年、ストレスとプレッシャーにさらされて生きていきたいか?」
・完全に自由な気持ちで新しい料理に挑戦すること、地元愛を料理で創造的に表現すること
・これがセバスチャンにとっての1番の欲望だったことを忘れていた
・そこからミシュランの星を返上した
余談では、セバスチャンのレストラン「ル・スーケ」をミシュランガイドから削除して欲しいとミシュランへの連絡後には、ミシュランからハッキリした連絡がなかったそうです→前例がなかったため
セバスチャンは、ミシュランの星の返上を公にするために動画をFacebookに載せたそうです(世論を味方にするため)。
のちに動画は100万回再生されるほどの反響があったそう。ただし、同じシェフからは賛否両論あった。
ミシュランがハッキリした返事をしなかった予測も書かれていました。
・他のシェフも星を返上したいと言って来たらどうするか?
・ミシュランの価値には どんな影響があるか?
・・結果的にセバスチャンのレストラン「ル・スーケ」はミシュランガイドから削除されたようですが、しばらく経ったあとにミシュランガイドに載せたいという連絡がセバスチャンに届いたようです。
しかも星2つで→これは嫌がらせでしょうか‥(^^;)
セバスチャンはその後、家族との時間を増やして、やりがいを感じてレストランを続けているそうなので結果的には成功しているよね、盛況しているようだし
書籍通りならミシュランのシステムは、
・良いレストランをみんなに紹介したい、レストランの力になりたい×
・従順で金になるレストランを利用して自分たちが利益を得たい〇
・・となりますね。こういう理念ならばミシュランの星を返上するシェフが増えるのも頷けるかもしれません。
ミシュランのシステムって、こんな感じなんだなぁ‥と思うと同時に、これクリエイター界隈でも似たようなことが起きてるから人ごとじゃないなと思いました。
・自分の作りたいものを押し殺してまで、閲覧者の好きな作品を作る
・閲覧者を気にして新たな試みができない
・SNSでの評価が落ちることで一喜一憂
・動画の再生数が落ちても一喜一憂
漫画のセリフで「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」なんてありますが、まさにこの事ですよね
仕事以外の趣味でつくる作品の話なら、本来クリエイターが好きに作ればいいのですが、一度たくさんの評価をもらってしまうと評価を落としたくないと思ってしまう。
ほかの評価をもらっている人(ライバル)のことも気になってきますしね(^^;)
書籍の話とは少し脱線してしまいますが‥
趣味用の作品なら「自分の作りたい作品か?」「閲覧者好みの作品か?」などの0か100かの考えより50:50などバランスを取るのがオススメです(比率はお好みで)。
つまり、自分の作りたい作品の中に50%流行りを入れたり、人気版権の絵を描くなら、人気キャラを描くのではなく、その中でも自分の好きなキャラを熱意をもって描くなど(人気キャラが好きな場合はラッキーなので、そのまま描けばいい)
絵に関しては、この記事でも少し触れています↓
後でまた出てきますが、ミシュランの星を返上したセバスチャンのような自身の「濃い欲望」を見つけることが大事ですね。
薄っぺらい欲望ではなく。
やってから文句を言え!を信じてはいけない(酸っぱいブドウ論の破壊)
模倣のゲームから、やましさを感じずに抜け出すためには、ゲームに参加してまず勝たなければならない、という主張を信じてはいけない。
欲望の見つけ方より
前述のセバスチャンは すでに3つ星を取っていたから、簡単にミシュランの星を返上できたのだろうか?
一度ゲームに勝っているわけだから「負け惜しみ」と他者から非難されることもないだろうと著者も認めています。
では、
・金持ち以外は金持ちを軽蔑する資格はないのだろうか?
・上司の立場になったことがない平社員が上司を悪く言ってはいけないのだろうか?
・神絵師以外は神絵のイマイチな部分を指摘してはいけないのだろうか?
・ミシュランの3つ星を持っていなければ、3つ星を求める気持ちを否定できないのか?
「文句があるなら自分でやってから言え」は自己欺瞞(じこぎまん)であり、敵意であり、弱さであると著者は指摘しています。
この部分だけ何度も読んでしまいました(^^;)
個人的に思ったのは‥最終目標がゲームで1位になることなら それでいいけど、前述しているセバスチャンのように別の最終目標があるなら「本当にゲームに勝つ必要があるのか?」ということだね
ルーキーズという野球漫画の6巻でも、練習試合でケガをしてもプレーを続けようとする相手チームのピッチャーに川藤監督が似たようなことを言っていました。
もっと大きな目標があるなら「今なにをすべきか?」見極めるべき、それが本当の根性だと。
人間が不老不死なら暇つぶしにゲームで1位を目指すのもいいですが、時間は有限、「自分が心の底からやりたいこと=濃い欲望」に向けて頑張った方がいいですよね
必要なのは自分の「薄い欲望」と「濃い欲望」を見極める力、振り回されない精神力ですね。
シンパシー(共鳴)とエンパシー(共感)の意味の違い
シンパシー:一緒に感じるという意味。自分の感情がシンパシーの対象となる人の感情と溶け合う
エンパシー:中に入ることを意味する。相手の話・信念・行動・感情を真似ることはなく自分自身の人格や冷静さを失うまで共鳴することはない
私もシンパシーとエンパシーの意味が、ごっちゃになっていました(^^;)
自身も人への「共感」が極端に弱い冷たい人間だなぁと思っていましたが、価値観・考え方の置き換えは比較的得意なので、「共鳴」が苦手なだけだと、(なんとなくですが)理解しました。
前にレビューを書いた推し活本についてでもそうですね↓
共感(エンパシー)の例‥
Aさんがアイドルを推す気持ちと、ワンコ好きBさんが犬を推す気持ちは等しく尊い。
これが理解できれば、お互いの大事にしているものを大事にできるという‥人間関係を構築する上で非常に大切な考えですね。
共鳴(シンパシー)の例‥
Aさんはアイドル推し、Bさんはワンコ推しだが お互いの推しに対する思いは同じではない‥とお互いに考えている。つまりお互いが自分の推しに対する情熱や愛の方が高いと考えている。
AさんとBさんが友達ならケンカに発展する可能性がありますね(お互い自分の推しの話題に触れなければ、この限りではないですが‥)
シンパシーは簡単に模倣に乗っ取られるが、エンパシーはそうならない。
共感する過程において自分を犠牲にすることなく、つながれるように人としての共通点を見つけることだ。
欲望の見つけ方より
(中略)
共感する能力がある人は、他者の経験に入り込んで その人の欲望を共有することなく、その人の考えや感情を共有できる。
共感力のある人は、自分が欲しくないものをなぜ欲しがる人がいるのか理解できる。
つまり、共感できれば他の人のようにならなくても、他の人と深くつながれる。
社会の中で孤独を感じている人のヒントになりそうな気がしてならない
・・ということを考えると、「共鳴」できる人は多くても実際に「共感」できる人は少ないんじゃないかと思えてきました
共感力って鍛える方法とかあるんですかね?(^^;)
色んな人の経験談を知る(本を読む、話を聞く)+自身で色んな経験をしてアウトプットするくらいしか思いつかない。
年を重ねるにつれて若い時の「模倣的な考え」が減る?
年齢が上がるにつれて模倣的な「薄い欲望」は減ると言われていますが、自分で「濃い欲望」探しをした者だけが得られると著者は言っています。
※薄い欲望→充足感がない欲望、濃い欲望→充足感がある欲望
薄い欲望の例→お金持ちになりたい、容姿が良いパートナーと付き合いたい、絵が上手くなりたいなど
濃い欲望の例→大切な家族と過ごす時間を増やしたい、○○という職業の楽しさを子供たちに伝えたい、小難しいが重要な話をマンガにして多くの人に届けたいなど
(※ただし、上記の欲望例は人によります)
歳をとるにつれて、こうした若い時の強い感情の多くは消えていく。
欲望の見つけ方より
欲しいものが手に入らないと気づいたからではない。
パターン認識ができるようになり、自分が満たされない欲望を認識できるようになるからだ。
その結果、多くの人が年齢を重ねるにつれて濃い欲望を育むようになる。
しかし、濃い欲望と薄い欲望は常にせめぎ合っている。
つまり、自分で濃い欲望を認識していないと薄い欲望に乗っ取られてしまうということ。
さきほど出てきたエンパシーとシンパシーの話と同じですね。
自分の濃い欲望に気づくのが遅すぎた例として、定年退職をしたら「アレもコレもやりたい!」と楽しみにしていた人が いざ定年退職をすると満たされなかった‥という よくある話が紹介されていました。
やはり、やりたいことは「今すぐ」やってみるに限るね
自分の欲望の濃さの確認のためにも‥
やりたいことがハイリスクだったり、誰かに迷惑がかかりそうな場合は、そのフォローも必須ですね
後でまた出てきますが‥模倣の考えを知りつつ、自分は「何で充足感を得られるのか?」を考えつづけるのは大事ですね(^^)
濃い欲望と薄い欲望、失ったときの痛みはどうなる?
前述しているミシュランの星を返上した話と似ていますが、芸術家の話が例として紹介されています。
・重要な何かを表現したいという生涯にわたる欲望がある
・その一方で市場で作品を売りたい、受け入れられたい、賞賛されたい、評価されたいという欲望がある
・年ごと月ごと日ごとに変化する「流行」の頂点にいたいという相反する欲望もある
・後者は浅薄(せんぱく)な欲望で、積み重なれば前者の濃い欲望を見えなくしてしまう
※浅薄~考えや知識が浅いこと
自身もブログや絵を描いているし、動画も作っているので、これはよくわかりますね(^^;)
特に1度なんらかの評価をもらってしまうと、落とせなくなるという罠もありますしね。
失う痛みは、得る喜びの2倍の衝撃(痛み)が加わると言います。
これは濃い欲望を見つけて実践しつづけていれば(手に入れていれば)、薄い欲望→失うことによる痛みは大したことないように思えるのだろうか?
他の人はわからないですが、自身の経験だと薄い欲望→失うことによる痛みはなくならない感じですね
Youtubeに投稿している動画を例にするとわかりやすいですが‥
自身の場合、ある動画の再生数が2000回なのに対して、ある動画は40回以下なんてこともあります(2023年時点)。
ちなみに、兼業クリエイターなので動画を1本作るのに1週間~2週間はかかっています。
収益化をしてないので私はまだマシですが、再生数が低くても気にしないと言っている人は聖人(濃い欲望しか見ていない)か酸っぱいブドウ状態になっているかって感じですね。
完全に失う痛みがなくなるわけではないですが、自身のやっている対策としてはスキルアップに注目するということ。
勉強して動画を作りつづけていればスキルは必ず向上するので、それに着目している。
スキルは色々と応用できるので、本当の意味での濃い欲望を見つけたときにも役立ちます。
※実際にブログを書きつづけて、読書もつづけてきたから解説動画つくり(主に台本面)で役立っている
スキルアップに注目することで痛みレベルが100→60くらいには減るイメージですね。
あと、スキルは応用が効くことが理解できたので、痛みレベルが100→60→40くらいには減りました(^^)
収益やチャンネル登録者数、再生数に注目していれば痛みレベルは150くらいになったかもしれません。
自身のチャンネル(主にイラストについて動画にしています、気になる方は覗いてみてください)↓
https://www.youtube.com/channel/UC5R5gTgSxON2P6OSH1tMCAQ
自分のフェチズム(原動力)を知ろう
核となる動機付けの原動力を特定することが大事だと著者は言います。
動機付けの原動力とは、その人特有の変わらない行動のエネルギーで、人生において確かな形の結果を出そうという気にさせるものである。
欲望の見つけ方より
人はそれぞれ、頑張るためのモチベーション(濃い欲望)が異なるそうです。
※前述している内容とは少し違い、自身のフェチズムのようなものに着目しています
例として‥
①探求に喜びを覚えるタイプ→未知のものや流行を追いかけるのが好きなタイプ
②技術の習得に喜びを覚えるタイプ→完全マスターするまで満足しないタイプ
③表現する(教える)ことに喜びを覚えるタイプ→習得かつ主観的な発見を人に教えることに満足するタイプ
・・これらを知ることは自分の欲望探しのヒントになる。
上記は一例で、他にも色んな種類のフェチがあると思います。
①は1つのことを習得することには興味がなく、浅く広く、なんとなく理解できたら次々と興味が移る傾向がある。
②は例えば、読者として あるマンガに興味を持つと、そのマンガの作者、なぜこういうストーリーになったのか、裏設定、同作者の他の作品など完全に理解したがる。興味を持ったものはトコトン追求したがる。
ただし、③のような表現するようなことには興味がない。
③は表現する手段がない場合、習得に興味を失ってしまう傾向がある。
本を読んだら書評を書かずにはいられない。また洞察が鋭いのでディベートでの司会も得意で、重要な考えを引き出して皆に伝える。
自分は全部に少しずつ当てはまるので、この3つのハイブリット型って感じですね
自分の核となる動機付けの原動力を知れば、なぜ ある活動には深く引き付けられ、ある活動には全く興味がわかないのか分かるようになる。
本当に充足した時のことについて聞けば、その人が最も良いときの話が聞ける‥と著者は言います。
今はほとんどの人が「薄い欲望」に隠れて本当の意味での充実感を得る欲望が見えなくなっているから、掘り起こす作業が必須だね
余談:自身の「濃い欲望」の発見例
余談ですが‥最近、自分の「濃い欲望」が見えてきた気がしました。
X(旧Twitter)では時々書いていましたが、自身はいままで文章・絵・動画をつくり続け、他者作品(マンガ・アニメ・ゲームなど)をみたときの理解度が上がっているということに気づきました。
本気度の高い作品をみると、感動レベルが今までと全然ちがう。
前述している例でいうと③に近いですが、クリエイターみたいな表現することに喜びを覚えるタイプともまた違う気がしている。
表現すること(文章・動画・イラスト)で、理解が深まるからそうしているだけで。
目的→作品を深く理解すること、手段→表現すること・色んな作品を見ること‥みたいな感じですね。
つまり、他者作品や推しキャラを心から楽しむ(理解する)ためなら頑張れる‥という原動力の発見でした。
作ることが好きというより、深く理解することに喜びを覚えるタイプだった。
これからの自身の方針の参考になる良い章でした(^^)
他にはこんなポストもしました↓
余談いろいろ~個々のエピソードで気になったものなど簡単紹介
・誰のレビューも参考にせず意見を言うのは怖い
・自分とまったく同じAIが怖い
・模倣理論が正しいなら社会が「平等」になったら争いが増える?
・瞑想して「薄い欲望」を排除し、「濃い欲望」を見つける
・収入が上がると子を持つ人が増える?
・善人と悪人の物語から善悪を持つ人間のストーリーへ
誰のレビューも参考にせず意見を言うのは怖い
レビューが少ない本については意見を言いたがらない‥というエピソードが紹介されていました。
「自分は好きだが、誰からも評論されていない本を評価する」というリスクを取るまでに、あまりにも長い時間がかかるので驚いた‥と書かれています。
自分も時々、記事を読むときにコメント欄を読んでから記事を読む&コメントするから分かるな
的外れなこと書いたらどうしよう‥と怖いんですよね
似た意味で、こんなポストもしました↓
元々評価があるものには評価しやすいが、評価がないものに評価するのは怖い。
前述している集団による責任の分散にも通ずることのある話。
自分とまったく同じAIが怖い
「欲望が同じ対象に集中する時、争いは避けられない」
2023年現在、何かと騒がれてる(脅威を抱かれている)AIですが模倣の書籍的には‥
いつの日か人間よりも賢くなるロボットではなく、私たちと同じもの、仕事、配偶者、夢を欲しがるロボットが怖いのである‥と書かれています。
以前、人形が怖い・・と言っている知り合いがいましたが、人間に近い形をしているから怖いのでしょうかね?
確かに、リアルな市松人形とかフランス人形は怖いですが‥(^^;)
よくホラー映画などにも使用されていますね↓
模倣理論が正しいなら社会が「平等」になったら争いが増える?
平等=みんなと同じな社会では何が起きるだろうか?
不平等な社会よりも、人々の間での対立が激化する可能性があるのではないか?
本当に平等社会が正しいのだろうか?
・・という問い。
不平等が当たり前の世の中だったら誰も反発しないが、みんなで平等を目指す・平等が当たり前な世の中になったら、少しの差でも気に障るようになる(金、資産、地位、フォロワー数、職業、パートナーなどの薄い欲望含む)。
しかも、SNS等で他人の動向は目に入りやすいという状況。
私たちは重要な問題に関しては平等のために戦う。
欲望の見つけ方より
たとえば、基本的人権や公民権のために戦うし、1人ひとりが濃い欲望を追求する自由のために戦う。
その一方で重要ではないもの、薄い欲望についても平等を目指して戦い始めた。
基本的人権や公民権に入るのかもしれませんが「富の再分配」も争いの種になるのかなという個人的な考え。
みんなが同じくらいの富(資産や金など)になると、争いが起きることが予想される。
別件だが、頑張って働いて沢山稼いで税金で○十万円持っていかれる!と怒っている人もいるけどね
天職を仕事にすれば、(理屈的には)努力がいらないから、税金が高いことへの怒りが和らぐとの意見もありますね
※ここで指している天職は心からやりたい仕事、本人の原動力になっている仕事のこと
この書籍でも言われていました↓
この「欲望の見つけ方」の書籍を理解していれば、薄い欲望に引っ張られそうになっても(ある程度は)コントロールできるようにはなると思いますが‥。
瞑想して「薄い欲望」を排除し、「濃い欲望」を見つける
色んな書籍でも言われていますが、瞑想する時間の大切さが語られています。
散々考えたあと、ボーとしている時間に良いアイデアが浮かんだり、本当の目標を見つけたりしますよね。
少しでも何も考えていない時間を持つこと。
余談ですが、某ゲームで ありきたりな曲ばかりで曲作りに煮詰まっていたギター兼作曲担当の主人公が、友人と海を眺めながらボーとしている時に最高の曲を思いつくエピソードもありましたね。
収入が上がると子を持つ人が増える?
・あるCEO(最高経営責任者)は約100万ドルという自分の年収のほとんどを放棄し、その後3年間の従業員の最低賃金を7万ドルに引き上げた
・最低賃金が上がる前は物価の高いワシントン州シアトルでは何とか生活していけるレベルだった
・多くの従業員は家族を持つのに十分な収入ではないと感じていた
・CEOが決断してから5年後、会社は急成長していた(取引金額が38億ドル→102億ドル)
・従業員数は倍になり、それぞれが濃い欲望を持つことができた
・例えば、子供を持つことを追求できるようになっていた
・最低賃金を増やす前は生まれた子供は毎年0か、せいぜい2人だった
・増やした後は40人になった
日本と米国では状況が違うとは思いますが、収入が増えれば少子化対策になるかもしれない‥という一例が紹介されていました。
いつも疑問なんだけど、途上国とか昭和初期の日本では多産だよね?あれはどういう仕組みなんだろう?
途上国に関しては多産多死なのでまた状況は違うのかもしれませんが、うちの祖母世代は6~8人兄妹が当たり前ですからね(^^;)
個人的に思うのは、SNSなどで他人の状況(格差ふくむ)が見えやすいことかなと思います。
子を持つことで苦労しているエピソードが多すぎること(金・仕事・育児の両立など)。
もちろん、子を持つことの感動話もありますが、人間は損・苦痛をともなう話に敏感という性質があるので。
あと、これは私の妄想ですが‥たとえば、子を持つことの苦労話に情報規制をかけて(原則禁止にして)、キラキラ話しか流れない世の中になったらどうなるか?気になりますね(^^;)
少子化を食い止めることができるのか?
それはそれで子を持ちたくない人たちが苦しむ世の中だろうけど。
善人と悪人の物語から善悪を持つ人間のストーリーへ
・作家がはじめて物語を書く段階では、作家が描く登場人物は善人か悪人かのどちらか
・このあとは陰影(1人の人間に善悪がある状態)が生まれる
・登場人物は模倣の欲望や競争に取り組むことになる
・人生とは、欲望が進化し続けるプロセスだと作家は理解する
私は作家ではないので「そうなんだぁ‥」という感想しか出てきませんが、リアルな1人の人間の裏表をみても完全な悪人や完全な善人っていないですよね。
善悪を持ったキャラクターだから身近に感じられる=共感できる、ストーリーが面白くなるというのは理解できます。
このエピソードは私の原動力である他者作品(アニメ・ゲーム・マンガ)を楽しむ部分に使えそうなので、紹介させてもらいました(^^)
まとめ:「その欲望で苦しんでもいい」というものを見つけることが大事
・モデルを認識しないことは危険である
・真似は最強の武器であると同時に不健全にも働く
・人は違うものではなく、同じものを求めて争う
・シンパシー(共鳴)よりエンパシー(共感)を大事にしよう
・人生は短いので、自分の濃い欲望を見つけよう
・濃い欲望とは「愛」である
欲望は常に自分に欠けていると感じるものに向かい、苦しみをもたらす。
圧倒的に大きな欲望を1つ選ぶといい、その欲望で苦しんでもいいというものだ。
by ルーク・バージス
周囲より劣っていると感じるから苦しむ。
自分が「愛」を注げるものは何なのか?の発見=濃い欲望の発見と書かれています。
序章は少し退屈でしたが、段々と面白いエピソードが出てきて、中には何度も読み返してしまった箇所もある良書でした(^^)
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