何かをやり遂げるのには運要素(環境など)が1番大事だと考えていました。
※正確には運が8割で、その他の要因が2割くらいだと勝手に思っていた
しかし、「努力や才能は本当に比重が小さいのか?」という疑問も持っていたので、遺伝子に関する書籍を読みました。
能力はどのように遺伝するのか~「生まれつき」と「努力」のあいだ‥という書籍です。
遺伝子に関することなので「主に才能について書かれているのかな?」と思ったら、才能は努力にも密接に関わっているというデータが示されていました。
読んでみて面白かったり、ためになった部分をネタバレありで紹介します。
※この記事の執筆者は医学については素人なので、間違いがあったらゴメンなさい
※内容が難しすぎるため、このブログの筆者が理解できた部分だけ話題に出しています
※この記事の執筆者の疑問で終わっている部分も多々ありますが、ご了承ください
・遺伝子の影響で人間は みな似た考えをする
・生まれつき(才能)があるなら、努力はムダなのか?
・改善できる疑似的な発達障害もある~体験欠乏症
・生まれつきとは筋肉のように鍛えることができないもの
・生まれつきを変えることはできないが、必要に応じて多少上下に動かせる
・天才マンガ家から学ぶ才能とは?
・ストレス耐性の強度も遺伝の影響がある
まったく分からないのではなく、どれが正解なのかが分からない~人間の類似性
少し長い引用ですが‥
残虐な殺人事件をメディアで目の当たりにすると、人々はなぜこんなことをするのかわからないと嘆きや怒りの言葉を口にする。
能力はどのように遺伝するのかより
しかし、本当に分からないのではない。
わからないと嘆くとき、多くの人はすでに、ひょっとしたらこんな事情があったからじゃないだろうか?こんな性格だったからじゃないか?と様々な仮説を思い浮かべているはずだ。
わからないのは、その中のどれが正解なのかが分からないのだ。
だからこそ、なぜそんなことをしたのか知りたがる。
つまり、どのような答えが考えられるかはほぼ分かっている。
それができるのは、基本的に遺伝的な同一性を誰もが持っているからである。
もちろんそれは同じ文化的経験を共有しているからでもある。
素で分からないと答えた人は人生経験が少ない子供か、思い浮かんだ考えを嫌悪感などから無意識に排除している感じなのかな‥?
特に色んな国をまわって人と会ったり、本をたくさん読んでいるような人は殺人犯の情報から、その人物像や人生経験が想像できることも多いですよね
書籍では人間の遺伝子型が似ていて、人間の活動は類似しているからと言っていますが、このへんは「知識量や否定的な先入観があるかないか‥によるのではないか?」と私は思っていますが、どうなんでしょうね‥(^^;)
才能は努力で鍛えることができるのか?
著者の意見としては、変えられるものと変えられないものがあると言います。
いわば、信念の問題からくるもの。
知能や能力は変わり得ると信じている人の方が知能や能力は固定的だと信じている人よりも、勉強に前向きに取り組み成績も良いという結果が示されている。
能力はどのように遺伝するのかより
したがって、すでにこの時点で行動遺伝学が見出した大原則である心は すべて遺伝的であるという事実を示す頑健なエビデンスに見向きもしないで思考停止することになっている。
自由意志や訓練教育によっていかようにも変化し、成長させられると信じられている心理的形質もまた、遺伝子から自由になる特権を与えられているわけではなかった。
書かれていることが難しいが‥
つまり「努力する姿勢」「根気」みたいなものも遺伝で決まるということだね‥いまいちピンとは来ないけど
たとえば、こちらの「いつも時間がないあなたに」という書籍では、時間やお金に余裕がない環境だと努力する気力や物事の実行能力が落ちる話が紹介されていました↓
どちらかと言うと、私は上記の書籍の理論の方を信じていましたが、「能力はどのように遺伝するのか」の書籍では努力する気力や根気の総量は遺伝で決まるという。
※気力や根気の総量は人によって多少の差はあるとは思っていましたが‥
引用にも書かれていますが、気力の総量が遺伝ガチャで決まるというのが事実なら努力する気はなくなりますよね
双子から見る、学習で鍛えることのできる分野と鍛えることができない分野がある話
書籍では、一卵性双生児と二卵性双生児の双子の類似性が比較されていました。
※一卵性双生児は顔立ちから性格まで お互いによく似た双子で、二卵性双生児は割と差が出る双子といわれています
ちなみに、相関係数(似ている値)は一卵性双生児が0.90という数値に対して、二卵性双生児は0.45という約半分の数値を示しています。
※1.0が完全一致とする場合
いくつか気になったデータ(※書籍のグラフデータをおおよその数値で比較しました)↓
一卵性双生児 | 二卵性双生児 | ||
身 体 | ・指紋 ・身長 ・体重 | 0.89~0.98 | 0.40~0.49 |
知 能 | IQ (幼少~成人) | 0.70~0.85 | 0.45~0.60 |
パ ー ソ ナ リ テ ィ | ・神経質 ・外向性 ・開拓性 ・協調性 ・勤勉性 | 0.37~0.50 | 0.10~0.19 |
精 神 ・ 発 達 障 害 | ①自閉症 ②ADHD ③統合失調症 ④うつ病傾向 | ①と②は0.80 ③と④は0.37~0.48 | 0.17~0.50 |
物 質 依 存 | ①アルコール依存 ②喫煙依存 ③マリファナ依存 | ①は0.48 ②と③は0.80~0.90 | 0.31~0.65 |
問 題 行 動 | ①反社会性 ②不倫 ③ギャンブル | ①0.80 ②と③は0.30~0.49 | 0.18~0.50 |
生まれつきの自閉症やADHDは遺伝(不可変)かもしれないけど、喫煙などの依存症・反社会性などは生まれ育った「環境」等の要因が強い気がしてならないんだけど‥
たとえば、一卵性双生児たちの幼少期時代は生まれ育った環境(双方おなじと仮定)が悪くて、大人になって別々の道を進むときにも似たような反社会性の行動(非行や犯罪行為)が目立つということでしょうかね?
(似たようなトラウマを抱えてるなら必然的な気がしますが‥)
非人道的かもしれませんが‥一卵性双生児たち それぞれに片方は悪い環境で、片方には良い環境で育てる実験をし、その後の人生のデータが取れないと意味がない気がしますが‥。
それでも双方が反社会的な人生を歩むなら納得できますが‥
身長や体重は遺伝の影響も大きいだろうけど‥
たとえば成長期にバレーやバスケなどのスポーツをやっていた人とやってなかった人、食事に気を使っていた人と気を使っていなかった人とでは「多少の差は出てくるのではないか?」というのが、この記事の執筆者の感想。
ただ、体重の変化に関しては遺伝的なものがあると思っています。
同じものを食べてても太りやすい人と太りにくい人がいるので。
※書籍では遺伝・共有環境・非共有環境の割合グラフも紹介されていますが、この記事の書き手は納得できなかったので、気になる方は書籍をご確認ください
逆に神経質や勤勉性などのパーソナリティと呼ばれる項目は他より数値が低い傾向です。
この部分は遺伝の影響が最大50%、共有環境がその残りということになる。
ほかには、病気のかかりやすさなどのデータも紹介されているので気になった方は書籍をご確認ください。
余談:改善できる類の疑似的な発達障害「体験欠乏症」
もちろん、発達障害疑いのある方 全員に当てはまるわけではありませんが、疑似的な発達障害もあるという話です。
以前よませていただいた、shinshinoharaさんが書いたnote記事体験欠乏症が参考になりました。
家庭教師をしていたshinshinoharaさん(以下、Sさんとします)が色んな子供たちをみて気づいた内容が書かれています。
先天的な脳の障害の問題ではなく、その年代(子供時代)で経験してるはずのことを経験していないから理解が遅い・できないという話です。
①家族から発せられる少ない単語から「察して」内容を理解するため、文章のように話せない子供の例
②料理をする家庭じゃなかったため、化学(科学)の理解にハンデがある子供の例
③家庭間での会話が少なく、子守はテレビだったため言葉がほとんど話せない子供の例
‥などが紹介されています。
以下に、いくつか簡単に紹介させていただきます。
体験欠乏症のnote↓
https://note.com/shinshinohara/n/nc5b879384537
①少ない単語から「察して」内容を理解するため文章的に話せない子供の例
概要↓
・Sさんが家庭教師をする予定の子(A子)の家族に状況を説明したときの話
・A子の妹が「なんで文章みたいに話せるの?」とSさんに聞く
・その家族の会話は、ほとんど単語で終わっていた「ねえ、○○は?」「おい、△△しろ」
・単語で事足りる生活をしていた
・状況から察する能力があるのだから頭は悪くない
・ただ、言葉を鍛えられる環境にはなかった
・家族の誰も本を読む習慣がない(文章は学校の教科書くらい)
・言葉を鍛えなければ学校の勉強についていくのも難しくなる
・単語だけ話せば事足りる生活をしているのに、その単語がウジャウジャと列をなしてる文章なんて、解読は不可能
・このことに気づいてSさんはA子の指導方針を決める
・後にSさんが指導したA子は中学3年の頃には文章的に話せるようになり
・公立中学の学年で下から2番目の成績だったが、高校ではトップクラスの成績になり、中堅大学を現役合格した
うちも似たような感じだったので既視感がある
大人になって文章を書いたり読書して多少マシになりましたが‥
この家庭教師の先生の(その子の)状況を見抜く力と適切な指導をする力も凄いけどね
脳の障害や一般的な勉強以前の可能性もあるのか‥と勉強になりました(^^)
②料理をする家庭じゃないから化学(科学)の理解にハンデがある子供の例
概要↓
・Sさんが中学生のころ、誕生日パーティーに来た同級生B男の話
・B男は唐揚げを食べて「こんなにおいしいものを食べたことはない」と言って驚いた
・B男の家族の誰も料理をする人はいないのだという
・料理は手作りでできるということも知らなかった
・料理をしたこともないのに化学を理解できるかというと厳しいように思うと言うSさん
・中火で油を加熱し、唐揚げ粉のダマを一粒入れて軽く沈んだ後、浮かんでくるなら適温、沈むならまだ低温、いきなり浮かんでシュワシュワするなら高温すぎる
・唐揚げ粉をまぶした鶏肉を入れ、軽くきつね色に変化したらできあがり
・こうした過程を実体験すると、燃焼という現象、加熱という現象、唐揚げ粉のデンプンが変化する現象、肉の主成分であるタンパク質が過熱により「変性」し、白っぽくなる現象、そうしたものを体感できる
・料理は化学、科学の基本
・なのにそれを家庭で目にすることさえないのなら、かなりのハンデになる
うーむ、若いころの色んな体験が重要というのが良くわかる話だな
大人になってもですが、いつどんな時に当時の経験が役立つか分からないんですよね
親が子に色んな体験をさせたがる理由がわかる話でした(^^)
③家庭での会話が少なく、子守はテレビだったため言葉がほとんど話せない子供の例
概要↓
・中学3年生の男の子(C男)の話
・C男は「はい」と自分の名前を言うことしかできないくらい言葉がほとんど話せない
・当然ながら文章を理解することは不可能
・平仮名は書けるが、漢字はほぼ壊滅、成績はもちろん学年最下位クラス
・ただ、サッカーはキーパーをしていてレギュラーだという
・ということは、頭は悪くない
・両親はその子が生まれるかどうかの頃に離婚
・母親は働かなければならず、おばあちゃんと一緒に暮らすことになる
・テレビの前に置いておくと静かに見ているので、テレビに子守をさせていた
・テレビに子守をさせすぎて言葉が発達しなかったようだ
・テレビの会話は一方通行、子供の言語の発達には双方向が重要
・Sさんは以下のように指導したそうです
・「君は言葉が大変遅れている。だから、高校に入ったら、友達にしゃべらせるな。アーでもウーでもいいから、自分から話しなさい。そして、家に帰ったら、その日あったことをお母さんに説明しなさい。お母さんは仕事でお疲れでしょうけれど、この子のため、毎日話を聞いてやってください」と
・それから2年ほど音沙汰なしだったが‥
・C男は高校でもサッカーを続け、キャプテンを務めていること、生徒会長に立候補して1年務めたこと、成績は学年トップになったことを理路整然とSさんに話してくれたという
・C男は高校に入ってから自分で話したり、お母さんに説明する練習をしたのだろう
・その結果、15年もの間、ほとんど発達していなかった言葉を急速に取り戻し、大学に進学できるまでになった
言い方が悪いかもしれないけど‥本人が健常、軽い親ガチャハズレくらいなら修復できる可能性があるということだね
ただし、紹介されている子たちもSさんのような家庭教師に出会わなければ(運がよくなかったら)修復できたか分からないという点は注意が必要ですね
「能力はどのように遺伝するのか」の書籍は主に遺伝(先天的)の話なので、今回の体験欠乏症(後天的)とは少しズレるかもしれませんが、一応こういう例もあるということで引用させていただきました。
遺伝のせい(先天的なもの)と判断する前に体験(後天的なもの)を試してみる価値はある
学習がうまく進まない場合は、まず体験の欠乏を疑ってみたほうがよいように思う。少なからず子どもが、体験を補うことで「理解」が進むようになる。
体験欠乏症より
(中略)
体験を積もうにも積めない。親もそうした体験を積める環境を提供できない、あるいは提供しなければならないということに気づけてない、という場合が少なくない。
もし後天的なものが理由なのなら、それは改善できる可能性がある。
Sさんも能力は、先天的なものと後天的なもので決まるのだろうと言っています。
先天的と最初から決めつけるより、後天的なものではないか?と疑って改善策をいくつかやってみて、それでも上手くいかなかったら遺伝のせい‥とした方がいいのかもしれませんね。
勤勉性は才能なのか?
※前の方で勤勉性は最大50%というデータが示されていますが、書籍内の後ろのページで、より詳しく書かれていました
勤勉性は決まった時間に仕事に取りかかるという時間遵守行動、目標を見すえて仕事をしつづける目標遂行行動、成果の達成をきちんと見届ける検証行動など、色々な行動として表れるが、実はそれらは一つ一つ技能として学習した結果として獲得されたものではない。
能力はどのように遺伝するのかより
(中略)
勤勉性の発揮が期待される課題が与えられ、それを評価する社会的文脈がなければ、この生まれつきは無いに等しい。
その意味で、これは遺伝の直接の表れではない。
(中略)
才能の中でも特に他者に価値があると評価された能力をここでは才能と見なすわけだ。
書かれていることが難しいな‥
つまり天職みたいな仕事(や趣味)を自分で自覚し、誰かに評価されないと意味がないってことだろうか?
※自分にとっての天職→いくらやり続けても飽きない・苦痛を感じない行動や仕事のこと
ある作家さんは会計などの事務仕事は苦手(苦痛)だけど、文章ならいくらでも書きつづけられると言っていましたね、こういうのが才能・生まれつきというなら分かる
さらに重要なのは生まれつきの心的機能は学習のせいではないが、特定の状況に置かれた時にその状況に適応するために意識的にコントロールすることはできるということだ。
能力はどのように遺伝するのかより
書籍では、学校のテスト前の行動について勤勉性が低い人と高い人の例が書かれています。
・ふだんは勉強への勤勉性(熱心さ)が低い人でも、テスト前は勉強しておく方が良いと判断し、自分を律して勉強することはできる
・しかし、テストが終わってしまえば元の低い勤勉性に戻ってしまう
・勉強への勤勉性が低い人がいくら勉強をしつづけても、勉強への勤勉機能がドンドン記憶されて蓄積されるわけではない
・やっているのは状況適応としての勤勉行動である
・対して、もともと勉強への勤勉性が高い人は他の人が だらけてしまうような状況でも引きつづき勉強を続けられる
・もともと勤勉性が高い人の自然な行動と、勤勉さに適応させた人(勤勉性が低い人)とでは心理的メカニズムが異なる
自然な行動vs無理した行動なら、どちらが強いか一目瞭然ですよね‥(^^;)
野球への勤勉性が高いのが大谷翔平選手で、将棋への勤勉性が高いのが藤井聡太氏ってことだね
某Youtuberがいうには、誰にでも勤勉性を発揮できる分野があるらしいですが、皆それを見つけられていない(気づいていない)という‥
中には小石を黙々とタワーのように積み上げることに苦痛を感じないという人もいると思いますが(賽の河原か?)、「それは誰かに必要とされる能力か?」と言われれば難しいですよね‥(^^;)
上記のような方は図形に対する空間把握能力や想像力が高そうなので、そういう能力を生かした仕事に向いているのかもしれません。
パッと思いつくのは建築物の設計士、3Dモデラーとかでしょうか‥。
勤勉性は、すべての分野に発揮できるわけではない‥というのも興味深い。
(完璧主義的な傾向がある人は、すべての分野で勤勉に取り組もうとして挫折してしまう感じなんでしょうかね‥?)
ほかには、絵を描くことに対する情熱が低い人が、絵を描くことに対する情熱が高い人をみると「努力家ですごいなぁ」と思う理由がこれですね。
情熱が高い人にとって絵を描くことは(情熱の低い人よりも)苦痛や苦労をあまり感じていないわけですから。
※ただ、心身ともに健康な場合に限りますが‥
自身は努力をすっ飛ばした結果だけ欲しいタイプだから、こういう才能が見つかるか分からないですけどね‥(^^;)
コミュ力(外向性)は才能なのか?
同じように内向的な人でも状況に応じてその人なりに外交的な振る舞いを意識することは一時的にはできるだろう。
能力はどのように遺伝するのかより
このことは神経質・協力性・共感性など、ほとんどのパーソナリティー特性が現れる場面で同様である。
能力にはセットポイントのようなものがあり、自分の持っているセットポイントが50/100なら適応力を使って、40にしたり60にしたりはできると著者は言います。
ただし、50→90にしたり50→10にしたりは難しいそうです。
一般的に生まれつきというとガチガチに固定されたものを連想し、遺伝決定論を導いてしまいがちだが この程度の幅はあるのである。
能力はどのように遺伝するのかより
努力は一時的にはできても中々長続きしないし、学習によって努力力が筋肉のように増強されるわけでもない。
不真面目な人や内向的な人は努力によって高い勤勉さや外交性を維持できるわけではないのである‥と著者は述べています。
さらに、それらは学習しても蓄積されることはないし、おなじ家庭環境で育った双子の間で類似性が高まることもないそうです。
ステージで講演するのが苦手な人(緊張性が高い人?)が回数をこなすと苦手意識がなくなるみたいな場合は どうなんだろうか?
学習の蓄積といえないのかな?
これどうなんでしょうね‥
「慣れ」と「学習」は似たような意味だと思っていましたが‥
表面上のふるまいは さておき‥何回講演をこなしても慣れない人もいるだろうし、こういうタイプが緊張しやすさのセットポイントが高い人と言えるのでしょうかね?
講演の回数をこなすことで「慣れる人」が緊張しやすさのセットポイントが元々低い人という感じなのかな?
余談ですが‥
極度のテレ屋と言われていた歌手の坂井泉水さんの例を見てみるとライブステージでも凄く緊張しているのが表情やしぐさから伝わってきますね(PVやジャケット写真を撮影するのにも坂井さんはテレてしまうらしいので、カメラマンはいい写真を撮るのに工夫が必要だったとか)↓
歌手ってライブ前は緊張している人もいるんだろうけど、ステージに上がって歌いはじめたら自分の世界に入る(ゾーンに入る?)人が多いのかと思っていましたが、そうでない人もいるのですね(^^;)
話を戻しまして‥
努力がここで述べたように心的負荷のかかる自己制御であり一時的な変化を生むことを認めた時、それならば自由意思の余地があると考えて安心するか、それとも少しでも遺伝の影響があれば、もはや自由意志とはいえないとして その考えを拒むか、あなたはどちらの立場だろうか?
能力はどのように遺伝するのかより
書籍で頻繁に出てきますが、能力は遺伝が50%・環境が50%のような比率があると言われています(数値は一例です)。
・能力(生まれつき)があり、それをするための環境も用意できる→最大100%の力を発揮できる
・能力(生まれつき)はないが、環境の用意や努力はできる→最大50%の力を発揮できる
赤松健先生の「魔法先生ネギま!」という魔法の世界を題材にしたマンガでのワンシーンですが、めちゃくちゃわかりやすく、似たようなことが描いてありました。
・強い魔法使いが、(まだ未熟だが)才能のある魔法使い2人に魔法のことを教えているシーン
・お前たちの魔力容量は強大だ
・これはトレーニングでは強化しにくい天賦(てんぶ)の才、ラッキーだったと思え
・ただし、それだけではただのデカイだけの魔力タンクだ
・使いこなすためには修行が必須だ
つまり、
・才能がある人→デカいタンクを持っている人
・才能がない人→小~普通サイズのタンクを持っている人
↓
修行(≒努力)して自分が持っているタンクに液体を入れていくわけだが、人それぞれ最大容量が違う。
最大容量=才能、液体を入れる行為=努力というイメージ。
赤松先生の説明というかストーリーすごすぎませんかね(^^;)マンガ家の先生はみんな凄いんですけどね‥。
「能力はどのように遺伝するのか」の書籍で難しく書かれてあることをマンガで分かりやすく説明してくれてる。
話を戻しまして‥
この事実が本当なら残酷でもあり、才能がないと判断したものは片っ端から切り捨てれる(ムダを省ける)というメリットもありますね。
才能がなくても好きなことを続けたいという人もいるでしょうけど‥。
遺伝的な話を知った上でやる努力と、知らずにやる努力なら本人のメンタルに与える影響も違うだろうし。
そして、努力する気力(有限な資源)は「スイッチ!」という書籍で述べられていたセルフコントロールにあたるものなんですね。
セルフコントロール力が枯渇すると努力ができなくなるそうなので、才能(生まれつき)+環境+需要がある分野が整っている人は羨ましいですね(^^)
自分の才能(生まれつき)だけでも発見できている人は、惜しいところまで来ているのかもしれません。
「本番」と「練習」の区別をつける人は才能がないのか?
他にも訓練・勉強・修行など様々な名付けられ方があり、それぞれ異なるニュアンスで使い分けられていて
その違いにこだわる人達もいる。
どこまでが練習で、どこまでが本番なのか?‥と著者は述べています。
ちょっと長いですが引用↓
一生修行だ‥などというのは、その区別などができないと言っているようなものだ。
能力はどのように遺伝するのかより
試験勉強のための勉強やコンクールのための練習をしている人は大概本番の試験やコンクールが終われば練習や勉強を終える。
しかし中には普段から勉強などという意識なく、その行動、歴史の本を読むとかピアノを弾くとかを続け、そのまま社会に出て試験と呼ばれる場でパフォーマンスをし、それが終わっても尚、相変わらず淡々と同じ行動を続ける人もいる。
その様な人にとって練習・勉強と本番との区別は我々が勝手に そう解釈しているだけのこと。
好きこそものの~というより、もはや中毒といっていいレベルだね
上記のような本番と練習の区別がない人に勝てる気がしないですね‥
前の方でも書いていますが‥
我々凡人ができることは本番と勉強の区別なしに淡々とできる分野探し+その中で他人に価値を与える方法を模索し実行することですね。
上記2つの実行は前人未到の分野になるかもしれないし、ラクな道ではないのかもしれない。
これも前の方で少し触れていますが‥
自身は作品(マンガや書籍など)のキャラや作者の意図を理解できたときのスッキリが大好きで一生つづけたいのですが、それをするためには沢山の本を読んだり、アウトプットをしなくてはなりません。
勉強は嫌いだけど、スッキリするという結果は欲しいというワガママな場合はどうしたらいいんでしょうかね‥。
勉強には他のメリットも多いので続けますけどね‥(^^;)
遺伝による生まれつきと、環境による生まれつきは違う
ちょっと長いですが引用↓
外在だが不可変、つまり自分の意志では変えられない要因も考えられることになる。
能力はどのように遺伝するのかより
社会学では、こちらの方を生まれと呼ぶことが多い。
遺伝という意味での生まれつきと紛らわしいが、これは区別しなければならない。
自分を産み育てた親、生まれ落ちた地域社会、のっぴきらない時代背景など、そこから逃れることが不可能または極めて困難なひたすら自動的に受け止めざるを得ない環境要因である。
親だけでなく、自分が生まれ育った土地の風土や人が作り出す物理的社会的世界など、特に子供の頃の環境はすべて本人にとってはガチャである。
※外在→外側からの圧力など(例:一般的には、まわりの風土を乱すと仲間外れになる可能性がある)
※内在→自分が自身へする圧力(例:和を乱して面倒ごとになるのがイヤだ)
内戦などが起きている国に生まれてしまったら、それだけでハンデになるしね
細かいことを言うと、内戦が起きているような国に生まれて何も知らずに死ぬなら、それほど不幸に感じない気がします
内戦が起きているような国で生まれて何とか生き延びて、日本などの平和な国へ亡命するような時は自分の不幸さを自覚するかもしれません。
まわりとの違いを知って、まわりより劣っている自分に気づき、初めて「ハンデ」に気づけるわけですから。
自由意思でコントロールできるかできないかという問いは、実は内在か外在かという次元と可変か不可変かという次元が直交する‥と著者は言います。
①内在するが可変なもの(自由意志でコントロール可能)→努力
②内在し不可変なもの→遺伝
③外在し可変なもの→環境
④外在するが不可変なもの(自由意思の及ばないもの)→ガチャ
例としては、こんな感じでしょうか‥?
①努力:上手くなることを願って、絵を毎日描いていたら少しずつ上達した
②遺伝:毎日絵を描いていても飽きないし、楽しい
③環境:もっと絵が上手くなりたいので、独学じゃなくプロの先生に習おう
④ガチャ:絵を仕事にしたいが(需要的にも)生活費分の収入が足りないので、別の仕事をする
余談ですが、④ガチャの例は生成AIの登場で現実味を帯びてきましたね。
現在はVtuberが流行っているので、Live2Dの仕事なども併用するなら不可能でもないと思いますが。
社会的に認知されていない才能がある場合、自分で自覚できないことが多い
才能が「目に見える形で」発揮される状況とは‥
①その能力を発揮できる場所がある
②その能力を必要としている人が多くいる
③なんらかの価値(お金や感動など)を生み出す
・・など場所・需要・価値をすべて満たす必要がある。
※人によっては価値(お金など)はなくても良いって方もいます→趣味でやっている場合など
内容うろ覚えでソースも忘れましたが‥「うる星やつら」など大ヒット連発のマンガ家、高橋留美子先生への取材レポート記事を以前よみました。
「マンガのない世界に生まれていたら、どうしていましたか?」というもの。
ソース記事をみつけ出しました↓
https://togetter.com/li/1617193
今でこそ需要の高いマンガですが、そのマンガがない世界にマンガ界の巨匠が生まれていたら‥?
高橋先生は「ひたすら絵を描いて、線をかこって、ストーリーやセリフを書いていたんじゃないかな?」という回答でした。
もちろん生活費とかのやりくりはあるとは思いますが、評価されなくてもマンガ(のようなもの)をずっと描きつづけると。
なるほど、これが才能ですか‥
高橋留美子先生の代表作「うる星やつら」↓
しかし、「富樫仕事しろ」で有名な富樫義博先生(代表作:幽遊白書・HUNTER×HUNTER)は話題のゲーム発売日以降は連載がストップするという話もあるよね?
詳しいことはわかっていませんが、富樫先生はゲーム以外の理由でも頻繁に連載をストップされるようですね(^^;)読者は続きを楽しみにしていますが‥。
一方、高橋先生は上記の取材レポートをみる感じだと、一時期ゲームにハマったらしいですがマンガを描くこと以上に楽しいことがあるなら教えてほしい・・とおっしゃっています。
また後の方で出てきますが、ストレス耐性みたいなものも遺伝の影響があるようです。
おそらく高橋先生も富樫先生もマンガを描く才能はピカイチなんだと思いますが、この「ストレス耐性」が違うのではないかと私は予想しています。
富樫先生の代表作HUNTER×HUNTER↓
話を戻しまして、前の方でも書いていますが‥
・自分の才能を自覚
・才能を発揮できる場所がある
・世間的に需要がある
この三拍子がそろっていると最強ですね。
自分の才能(特技のようなもの)は自覚しているがまったく未開拓の分野の場合、どうやって価値を提供するか・マネタイズするか分かっていない場合もある。
こういう方々は惜しい所まで来ているので、ぜひマーケティングを学んでいただきたい。
初心者でもわかりやすくマーケティングを学べる本、とてもオススメの書籍でした↓
共感能力の高さからカメラマンとしての才能を開花させた人の例
書籍にもう1つ例が載っていました(実際にあった話らしい)。
簡単に概要を紹介します↓
・カメラマンとして隠れた能力を持っていたが、本人(D氏)も他人も その能力に気づかない
・D氏は、もともと他者への共感が高かった(他者の表情やしぐさから苦境を想像する力)
・本人にとっては「当たり前」の感覚だった
・ある時、それまでいじった事もなかったカメラに触れる
・カメラ撮影の楽しさを知って、何枚もの写真を撮るようになる
・部屋に遊びにきた友人が、たまたま その写真をみて褒めてくれる
・もっと色んな人に自分の写真を見てもらいたいと思うようになる
・なので写真雑誌に何度も投稿する
・そのうちにD氏の写真が採用されるようになる
・採用された写真が有名な写真家の目に留まる
・有名な写真家が自身のブログなどでD氏の写真を好意的に紹介する
・D氏の写真は世界的に知られるようになる
出発点はいきなり写真ではなく、むしろそれとは直接は結びつかない他者の表情への共感という経験や心の癖が生み出したものが連鎖的に結び付いていったというところが重要だ‥と著者は言います。
つまり、どんな人でも何かしらの特化能力を持っており、本人・他者が気づいていないか、どのように価値に結び付けていいのか分からない‥ということだね
「好きなこと・得意なことを究めろ!」という先人の成功者の言葉がなんとなく分かりますね
問題はその出発点としての特定の目標に狙いを定め、長期にわたる長時間の訓練を行うところに遺伝的な個人差が関与していることだ。
能力はどのように遺伝するのかより
人生において、どんな目標に出会い照準を合わせることができるか、長時間の思慮深い訓練を苦労をものともせず持続できるだけの対象と状況が得られるか。
そこには遺伝的な個人差が影響してくるのだ。
つまり、
・本人が自分の才能を自覚すること
・本人が、その才能を生かす作業が苦じゃないこと
・その才能を強化するための根気(根気の総量も遺伝による?)
・その才能を強化するための環境がある(たとえば、内戦が起きている国の生まれだったら不可能に近い)
・その能力を欲してくれている人がいる
・・これらが全部必要になってくる。
こう考えると、トップレベルで才能を開花させれた人って奇跡に近いんじゃないかと思える確率ですね。
00000.1%とかの世界じゃないですかね?(^^;)
トラウマの克服~環境より遺伝の影響の方が強いのか?
遺伝的資源があるということの強みは、それを生まれてから死ぬまで四六時中片時も手放すことなく常に携帯しているということである。環境はそうはいかない。
能力はどのように遺伝するのかより
いま影響を受けている その環境もそこから離れたらなくなってしまう。
(中略)
行動遺伝学が明らかにしてきたのは環境の影響のほとんどが、その時限り、その場限りで影響の持続性は相対的に少ないということである。
たとえば、ブラック企業でトラウマを抱えてしまった人がホワイト企業に転職したら(遺伝子よっては)元通りになるってこと?
信じられないなぁ‥
後述するストレス耐性も遺伝の影響を受けるなら、トラウマを「乗り越えられる人」と「乗り越えられない人」がいるのも、なんとなく分かりますが‥
そう考えると、他の能力値(絵が上手いとかスポーツが得意とか)より、よりストレス耐性の高い遺伝子を持つ人が有利ということになりますね。両方持っていたらより強いが‥。
2024年現在の日本人の平均寿命(84~88歳)の約半分の40代前後まで生きてきたらトラウマの1つや2つくらいは抱えてるだろうし。
ただ、ストレス耐性には秀でているが他には何の能力も持たない人がいる場合「どうやってストレス耐性の能力を生かすか?」という問題はありますね。
パッと思いつくのは、コールセンターのクレーム処理係とかでしょうかね。
コールセンターは給料が高いと聞きますし。
ストレス耐性にも遺伝ガチャがある事実
一般にストレス経験が多いほど、うつ症状や自殺念慮を起こしやすくなるが、以下のように、この遺伝子の種類によってもストレスへの耐性が異なるというものである。
能力はどのように遺伝するのかより
ストレス耐性に関係する遺伝子には2種類あって、短いもの(s)と長いもの(l)がある。
ストレス耐性に関係する遺伝子は、この2つの組み合わせからなる。
・ss→ストレス耐性が低い
・sl→ストレス耐性が普通
・ll→ストレス耐性が高い
llのタイプの人はストレスが多くても鬱になりにくいのに対して、sl・ssとsの数が増えるほどストレスに対する感受性が高まり、より強い鬱症状があらわれるそうです。
死ぬ気でやって本当に死んじゃう人と、より強くなって生き残る人の違いはコレか
生存バイアスなんて言葉がありますが‥
ストレス耐性も遺伝ガチャの影響があるのかもしれないので、自分に合った訓練・学習をすべきですね
※生存バイアス~厳しい訓練で強くなって生き残った人の偏ったデータしかみていない状態で、全データを参照すると失敗して病気になってしまった人や生き残ることができずに亡くなってしまった人もいる
前の方でも書いていますが、llの遺伝子を持っている人が うらやましいですね(^^;)
生き残れるかは別として‥厳しい訓練をした方がより強く(上手く)なれる確率が高いのはその通りですし。
llの遺伝子を「生まれつき」持っている人は、他者にハードワークを強要しては ならん!という知見も得ましたし。
ちなみに自身はslかll遺伝子持ちかなぁと思っています。
・イヤなことがあってもグッスリ眠れる
・イヤなことに耐えつづけても鬱病にならなかった(ただし、さっさと自分が〇ねばいいと思ったことはある)
・悪い環境から離れたら精神が安定した
・・という理由から。
環境から来るトラウマの影響も比較的小さいので、自身はストレス耐性の遺伝子ガチャには当たったようですね。
※ただし、元の悪環境に戻ったらどうなるか分からないが‥
余談ですが‥子供の頃からずっと細かいことにウジウジ悩んでしまう人もss遺伝子の持ち主なのかもしれませんね。
もし本当にストレス耐性遺伝子の強弱という概念が正しいなら、ストレス耐性は筋肉のように鍛えられないということですし、ss遺伝子の人達はストレスフルなイベントからはさっさと逃げるのが吉ですね。
知能に関しては裕福な家の子の方が遺伝率が高く、共有環境の影響が小さい
知能に関しては、家庭の経済状況や親の社会的地位が高いと遺伝率が大きく、逆に低いと共有環境の影響が大きいという交互作用がしばしば報告されている。
能力はどのように遺伝するのかより
これは経済的・文化的に豊かな環境下では子供が自分の遺伝的資質に合わせて自由に環境を選択でき、その結果、遺伝の効果がより顕在化しやすいのに対して、貧しい環境下では子どもの知的成長に振り分けられるお金や時間に制約があるからと考えられる。
裕福な家庭の子の方がお金のかかる習いごとなど、たくさん失敗させてもらえる確率が高いからということですね
この貧富ガチャの差を見ないから「あなたが成功しないのは努力不足だから」と言い切る成功者が叩かれるわけだね
まぁ、世の中には家庭的には裕福でも、子を精神的に支配して飼い殺す毒親もいるわけで、貧富の差(失敗の許容範囲)だけでは測れないのが現状ですが‥。
教育年数+才能でのし上がれる~親ガチャの影響は?
確かに親の社会階層は子供の社会達成を左右するという意味では昨今の流行り言葉になった親ガチャは正しい。
才能はどのように遺伝するのかより
だが、遺伝の影響はそれとは独立に個人差を生み、すなわち格差をシャッフルさせ、貧しい家庭に生まれても本人に遺伝的才覚があればのし上がれる、その逆もしかり。
著者は教育年数が長ければ長いほど、遺伝的才能があればあるほど社会経済得点を達成することができると言います。
つまり、(程度はあるが)親ガチャにハズレても才能があれば社会的に のし上がれると。
親ガチャが当たり(裕福かつ人格が普通の親)でも、勉強もしない、才能もない子なら成功しないってことかな?
それはその通りなんですけど、勉強ができる環境と才能を発揮できる環境こそが親ガチャなんですけど‥
※ここでいう親ガチャは育ててくれる人を指すので、生みの親でなくてもよい
これは個人の感想なんですが‥
著者のいう社会経済の達成には3つの関門があると考えています。
つまり、程度にもよるが環境(親ガチャや国ガチャなど)にハズレると最初の関門が突破できない。
第一関門:生まれた環境(親ガチャや国ガチャにハズレないこと→内戦が起きている国で貧しい家庭に生まれないこと)
↓
第二関門:才能(自分の才能に気づくこと→周囲にあわせて自分の苦手なことばかりやらない)
↓
第三関門:勉強・学習の環境(ある程度自由にコントロールできる環境のようなものが必要→鍛錬する時間と気力の確保と継続する力)
第一関門の環境は第三関門の環境(勉強・学習)と違って、自分の意志で変えることができない環境を指しています。
つまり、第一関門でつまずくと才能や勉強どころではなく、生きていくための行動しかできなくなる(ただし、奇跡的に その後の人生で良い人に出会えれば軌道修正することもできる)。
まわりも似たような環境ならガチャにハズれた人も苦しむことが少ないんですが、自分と少数の人だけがハズレを引いている状況だと理解も得られず苦しむことになる。
この部分は著者の意見には賛成できないですね。
育ての親と国などの環境ガチャの影響が大きすぎるので。
著者が遺伝ガチャの書籍を書いた理由~遺伝的なハンデがあるのを知ってほしいから
世間的には、遺伝について語ること自体をタブー視する風潮があると著者は言います。
何度か書いていますが、「遺伝ガチャにハズレたから頑張らなくてもいいや・・」という考えを持つ人が増えるのを恐れているからですね。
人間の世界を本当に救ってくれるのは確固とした遺伝的素質から生まれ出た「自然の能力」であって、環境や教育によって人為的に作り出されたものではあり得ないという、漠然とした、しかし確固とした確信があるからだ。
なぜ人類を救い、奮い立たせ、感動を呼び起こす業績を逆境にもめげず、使命感に突き動かされながら一生の仕事として成し遂げてくれる人たちが後を絶たないのか。
(中略)
遺伝子は一生涯、あなたの心をあなたらしい形で自動運転しつづけている。
「現時点では」遺伝ガチャにハズレたように思われる人も時代が変われば、逆転できる可能性があるということでもありますね。
色んな書籍を読んできましたが、(上下問わず)一般的な能力の平均と乖離が大きいほど苦しむ人が増えるのは、どの時代も一緒ですね‥(^^;)
天才も凡人以下も、多くの人に理解されないから苦しむ。
そう考えると「自分は凡人であることが悩み」と言っているのは贅沢ということになりますね、うーん・・
まとめ:一部を除いて、環境>才能>努力(学習)の重要度はやっぱり変わらない
・同じ文化圏の人間は似ている
・努力で鍛えられないのが遺伝(生まれつき)である
・後天的な(疑似的な)発達障害の事例もある
・才能がある人は「本番」と「練習」の区別がない
・ストレス耐性も遺伝ガチャで決まる
・一部を除いて、環境>才能>努力(学習)の重要度は変わらない
「能力はどのように遺伝するのか」を読んで、私はこのような結論を持ちました。
ストレス耐性が強いこと・身体と心が健康に強いこと(遺伝の影響)は何をやるにも絶対的に有利ですが、そのほかは環境(運)の影響で決まるんだなぁという感想。
この記事では取り上げませんでしたが、著者の理想の世界として‥全人類の遺伝子を解析&管理し、その人に合った環境と試練を与えるユートピアな世界が書かれていました。
エヴァンゲリオンの人類補完計画みたいだなぁと思いましたが、実際にはその世界に近づきつつあると言われています。
遺伝の影響で疾患があったり、発達障害や自閉症など何かしらのハンデがある人にも配慮が少しづつ行き渡るようになってきましたしね。
この書籍は内容が難しく、納得できない部分もありましたが、今後の人生に役立てようと思いました。
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