皆さんは自分のやり方や仕事の進め方、自分の作品等で批判を受けた事がありますか?
例:「その進め方はおかしいんじゃないか?」「そのやり方では遅い」「ここのデッサンおかしくない?」「この動画、この音楽と合ってない」「この記事言っている意味が分からない」等々
学生なら勉強方法や学級でのアイディア出し、社会人なら仕事の進め方、やり方などの批判。
自分の作品はイラストや動画、ブログ記事等。
悪意ある批判をしそうになった時のブレーキになればいいなと。
こちらを読ませてもらいました↓
一部引用させていただきます↓
「研究に向いてない性格」を研究職メンバーで話し合ったことがありますが、研究への批判を“自身への批判”に置き換える は満場一致で同意だった。「その“研究”の進め方はおかしいのでは?」という指摘に対して「“あなた”はおかしい」と誤翻訳されてしまう人は成長機会を取りこぼしていると思う。
こちらの記事は研究職・技術職となっていますが、他の仕事、学生さんでも起こり得る事ですよね。
といいますか心当たりがありすぎます(笑)
上記のサイトは色んな人が賛否両論していて、どれも参考になりました。
皆さんも心当たりがありましたら、一緒に考えていただけると幸いです。
皆が考えてくれると優しい世界になるかもしれません(^^;)
[outline]
自分が考えた事(作品)への批判
良くない部分を良くない言ってくれる人がいるから成長できるって意見も分かるし、自分が考えた事(物)が自分自身への批判と捉えてしまうって気持ちもすごくよく分かる。
とても難しい問題ですね(^^;)
批判する側
批判する側になって考えてみます。
批判する側は冷静に・思い込みなく伝えられれば、良い意味での批判になると思います。
相手側のメンタルの問題もあるので、絶対ではないですが‥。
計画立てたり実行してる当人より第三者の方が粗が目に付きやすく、別の視点から物事を見れる。
これは確かにそう。
批判は2つのタイプに分かれると思います。
②計画を立てた人・作品を作った人が気に食わないから批判する
(良くわからないけど、気に食わないから批判する)
①第三者が物事の粗に気づき、より良い物(事)にする為に意見する
私が(悪意なく)批判する立場だとして、急に怒り出す人やメンタルやられる人、恨む人がいるので実名では中々意見出来ません。
「俺の意見にケチつけるつもりか!?じゃあ代案出せや!!」
「じゃあ、あんたが書け!私は知らん!!」
「こんなに苦労したのに、批判されるなんて自分はダメな人間だ‥」
「みんなの前で恥をかかされた‥仕返ししてやる!」
性格とか熟知している親しい人なら言い方に気をつけて、その人に合った伝え方をしますが、そこまで親しくない人には意見しづらいです。
それで、よく歯がゆい経験をしています。
ブログでも仕事でもココこうすれば、もっと良くなるのに‥とか思う事が度々ありますが、上記のように受け取られる可能性があるので中々意見できないんですよね。
そして、それを人格批判と捉える人の気持ちも分かるから余計に言えない‥(^^;)
②計画を立てた人・作品を作った人が気に食わないから批判する(良くわからないけど、気に食わないから批判する)
お恥ずかしながら私も悪意を持って批判したいと思う事が度々あります。
嫌いな上司・政治家・同僚etc
ちゃんと人と物(事)を切り離して考えなければならないのは分かっていても、○○の言った事は信用できない・どうせ間違っていると決め付けてしまう。
思い込みなく、冷静になるにはどうすればいいんでしょうか?(^^;)
今は解決策が見つからないので、人と物(事)は切り離して考えなければならないという事を心に刻んでおきます。
コツ分かる方いたら教えて‥(^^;)
批判される側
批判される側になって考えてみます。
個人的に切り離して考えるためには、鈍感力という強靭なメンタルが必要だと思いました。
自己批判に置き換えてしまう、原因は2つあると思っています。
(苦労して考えた事・物が自分自身)
②悪意を持って事(物)の批判を人格批判にすり替える人がいる
他には、こんな事を書いている人もいました。
引用文↓
教育の弊害もあると思います。
・テスト、部活などの成績が良くない➡︎「頑張らなかった”あなた”が悪い、もっと頑張りなさい」と言われ続けるのが今の教育
・研究で指摘される➡︎「良い研究を出来ていない”あなた”が悪い、もっと頑張りなさい」と変換される。
こんな教育したら根性でしか物を語れないメンタル弱い子に育つわ(笑)。
①苦労して考えた事(物)だから自分とそれが同化している
例えば、ブログを書く工程(私の場合)
ブログのネタの為にアンテナ張り巡らせる
仕事してる時も、お風呂入っている時もブログネタの事を考えてる
↓
思いついたら、忘れないうちにメモを取る
使う言葉や引用する記事(文)もブックマークしておく
↓
計画を立てる
記事の為の下調べをする
見出しを何個かメモしておく
↓
記事を書く
書いていて分からない事や曖昧な事など調べる
↓
記事を書く
読みやすいように画像を用意する
場合によっては、写真を加工・修正する
↓
下書き状態で完成
記事を数時間から1日寝かす
↓
見直し
誤字・脱字、言っている事が矛盾してないか、おかしくないかチェック
↓
完成
↓
完成してからもリライトする
・SEO対策のキーワードはどんなものがいいか?
・記事のアイディア思い浮かばないで悩む
・嘘は書けないので入念な下調べ
・スマホで撮影した画像を加工
・読者に読みやすい記事にする為に色々と考える
・プレビューしてみておかしくなってないかチェック
・誤字脱字がないかチェック
めっちゃ手間かかっています。
素晴らしい記事を毎日書く天才ブロガー・ライターはともかく、普通の人は1記事書くのにめちゃくちゃ手間が掛かっています。
それこそプライベートを犠牲にしてまで毎日書いている方もいるくらいです。
私はイラスト描いた事も動画を作った事もありますが、計画立てから完成までめちゃくちゃ手間が掛かっています。
ダメージを受けるかもしれませんが、良い意味での指摘はありがたいです。
それで成長できる事もありますし。
しかし、これだけ手間がかかっている事(作品)に、自身と作品を同化せずに考えろというのは難しいですね。
人生のウェイトを作品作りに置きすぎると言っている方がいましたが、その通りなんですよね。
でも作り続けないと上手くならないですし、意見が聞けないと成長も出来ない。まったく耳が痛い話です。
作品を自分と同化せずに考えるコツ私も知りたいです。
知っている方いたら教えてください(^^;)
②悪意を持って事(物)の批判を人格批判にすり替える人がいる
人の事は言えませんが、確かにいますね。
引用させていただきます↓
言葉の二重意味性てのがあって、Twitterでも「お前何言ってんの?」が「論旨が解らないから教えて」という意味で言う人と、「俺が理解出来ないのはお前の頭がおかしいから」と罵倒する使い方で言う人がいる。
前者のことかと論理展開にそって説明しても、実は相手が「ぜってー理解なんてしてやんねー」と納得力をゼロにするのはよくあること。
そう考えると悪意ある批判には敏感な鈍感力が必要ですね。
論理的に説明しても「ぜってー理解なんてしてやんねー」では、ただの個人攻撃で自身に何の為になりません。
悪意がある批判と敏感に察知して、鈍感力を駆使し論理的に説明し続けるか聞き流すしかないですね。
敏感な鈍感力が培われると善意からの指摘なのか・悪意の批判なのか判断もできます。
他のあるある!と思った文の引用
他にもあるある!と思った文を引用させていただきます↓
指摘した人間を敵認定して取り繕うこともなく表に出すから人格的な評価を下げて孤立したり追いやられて、当人が更にそれを逆恨みして負のスパイラルっていう。自分で自分の精神面の面倒も見られない、その労力を周りに押し付ける人間の末路なんてそんなものです。
キレて泣き出して帰った人もいました。
人の好き嫌いと評価がごっちゃになる
仕事では冷静に判断したいですね。
「物事への批判を自分への批判に置き換えて受け取る」ってのはお互い発言を事の内容のみに留めて極力、個人の人格等に触れないようにする事で減らす事は出来ますが、どうしても性格の相性みたいなのもあります
人格に触れないように話してもキレ出す人もいるから困りますよね。
物事の内容のみでも私自身ダメージを受ける場合もありますし(^^;)
批判を悪いところだけあげると勘違いしてる人が多いのも問題だと思う。良いところを探そうとせず悪いところばかり指摘して、それで人格の否定と受けとるなって言われても大抵の人は難しいと思う
いい所を探して褒めて(?)、「でもね‥」と批判する人がうちの会社にいますが目が笑っていないですね(笑)
あくまで自分はプロジェクトに力を貸しているだけだと認識することができれば、批判や指摘はヒントになってむしろ有り難く感じられるようになる。つまり、被害意識は自分の立ち位置を勘違いしている場合に生まれやすい。
この考え方いいですね。
作品(記事)作りに協力している私。
意見に対する同意や反論をそれそのものの内容でなく「誰の味方をしているか」「どちら側についてるか」という視点で構える人とは議論ができないよね。
敵・味方で考えるなんて小学生とか中学生みたいですね。
精神的に幼稚という事でしょうか。
「研究への批判」が「自身への批判」になるのが普通なのでは。
言われた側が言った人間へ「この人は自分の人格や能力はかってくれている」と信頼を寄せているか、言われた側が人格批判と感じる部分を飲み込むタフさを持っているか、言われた側が自分の能力に強い自信をもっているかのどれかがが無いと起こらない特殊な状態なのでは。
やっぱりそれが普通なんですね。
・相手を信頼しているか
・自分のメンタル状態がいいか
・鈍感か
「自分の発言や言動は人格攻撃になっていないか?」ということを常に疑い、意識するようなことを全く考えないような人の方が、さらに研究者には向かないと思うな
みんなが考えて発言してくれたら優しい世界になります。
脊髄反射的に発言しちゃダメですよね。
注意する方の言い方の問題もありそうな気がする。例えば「目の付け所はいいんだけど、ここはもうちょっと具体的なデータを出せないかな。他はいいんだけど」的な感じで、フォローしながら注意したら受け止め方も違うと思う。「もうちょっと具体的なデータないの?」だけだと、データを探す苦労も知らないで、と思って「忙しいんです」でキレる人も多そう。
相手の立場や苦労も考えながら発言すると、相手も苦労は分かってくれてる!と思って素直に行動に移せますよね。
心の隅に置いておき、いざという時に感情的にならないようにしたいです。
まとめ
・なるべく内容のみに触れて、人格に触れないようにする
・言葉選びに気をつける
・悪い部分だけ言わない、良い部分も言いながら批判する
・決めつけ&思い込みを持たない
・人の好き嫌いと評価を一緒にしない
・敏感な鈍感さを持って悪意と善意を見分けられるようになる
・仕事、作品作りというプロジェクトに参加している自分を意識する
(自身と同化しない)
・仕事や作品作りに人生のウェイトを置きすぎない
・ためになる批判を受け入れられる心を持つ
以上
作品に対する批判を自分自身への批判と考えない為にはどうしたらいいか?の考察でした。